9月11日 み言葉と黙想

9月11日「主に備えあり」
創世記22章1~14節
アブラハムが目を上げて見ると、ちょうど一匹の雄羊がやぶに角を取られていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕らえ、それを息子の代わりに焼き尽くすいけにえとして献げた。(13節)

黙想
主なる神はアブラハムに子を与えたのに、今度はその子を奪おうとされました。思い巡らせばヨブが「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」と言った言葉のように、私たちの命は神のものということに思い至ります。私たちはその主の御心のままに今日を主に喜ばれるように生きるのみであり、そこに喜びや充実があります。

主はアブラハムに与えた祝福の約束を堅持し続けておられました。アブラハムがイサクを屠ろうとした時に主はアブラハムの目を開き、備えられていた羊が見えるようにしました。アブラハムは主の試練に誠実に向き合い、主は備えておられました。私たちを襲う試練で耐えられないものはありません。主は避けどころを備えておられます。神のもとに逃げること、隠れることは卑怯でも負けでもありません。
今日も主の祝福をお祈りいたします。