1月16日 み言葉と黙想

1月16日「パウロの喜び」
フィリピの信徒への手紙3章1~9節
キリストのゆえに私はすべてを失いましたが、それらを今は屑と考えています。私がキリストを得、人々が私をキリストの内にあると認めるようになるためです。私には、律法による自分の義ではなく、キリストの真実による義、その真実に基づいて神から与えられる義があります。(8,9節より、一部私訳)

黙想
パウロは名誉ある家系の出で、律法を守ることにおいて非の打ちどころのない人物でした。その彼が復活のイエス・キリストに出会って自分の誇りとしていたものすべてを捨て去りました。彼が求めていた神の義は律法を守ることにあるのではなく、イエス様を信じることにあるということに気づいたからです。

イエス様を通して、神は厳しい審判者の顔を持ちながらも私たちを愛していてくださっていることの真実に目覚めたからです。パウロは神の義を受けたことを自覚し、それこそが一切の価値であることを知って、牢獄にあっても喜んでいました。
今日も主の祝福をお祈りいたします。