マルコによる福音書6章1-6節「主のみ言葉を聞く」 

西千葉教会副牧師川添義和

 マルコによる福音書6章1-6節を見ますと、主イエスは、故郷では敬まわれなかったこと、ごくわずかの病人に手を置いて癒されたこと等が書かれています。  
 ナザレの人たちは、主イエスが語られた言葉、み業に驚きました。そこに大いなる権威が示されましたが主イエスの言葉を受け入れることができませんでした。  
 ナザレの人たちの思いが2、3節に書かれていますが、2、3節のみ言葉がナザレの人たちの思いになり、その結果、主イエスの言葉、み業を受け入れられませんでした。  
 現在、ナザレには受胎告知教会、聖ヨセフ教会が建てられ福音が宣べ伝えられています。主イエスは「預言者を敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と語られました。主イエスの十字架と復活を通してナザレの人たちは主が語られた言葉を真摯に受け止め、その言葉に打ちのめされ、主イエスの言葉に立ち返らされ約2千年間、ナザレの地にて礼拝を捧げています。 
 私達は自分の思いにとらわれ、おぼつかない時があります。祈れない時もあるかもしれない。けれども、主イエスがナザレの人たちを憐れんだように、私達も主の憐れみ、主の恵みの中で主と共に歩み、み言葉を聞き、主に立ち返ることができます。 
 4節で語られたみ言葉は、主の十字架と復活においてナザレに示され、教会が建てられました。私達は神様の恵みを忘れ歩む中で、主よ、お赦しください。と祈り、告白する時、罪を赦されたお方によって励まされ日々新たにされて歩むことができます。聖霊の働きによって教会は日々新たにされ神の恵みを受けてこの一週間、主と共に歩むことができる幸いを改めて本日の箇所から思わされます。