礼拝説教「真の権威に従う」(2021年10月10日)

聖書 ローマの信徒への手紙13章1~10節

三吉 明(みよし・あき)牧師

1,13章は12章から続く一くぎりの一部。12章に始まる<生活における神の義、神のあわれみを共に生きる愛の道。(コリント書共通)具体的生活<体>12章1節のための勧告。

直前のすすめ9~20節(偽りのない愛、迫害者への祈り、復讐は神のもの、善をもって悪に勝つ)現実はまちがった支配の中にあっても共同体をただ恵みによって構築するように権威者にも向きあう。

2,国家の権威者に対して。13章。時代背景としては皇帝よりも身近な地方行政官や官吏に対して。貢、税を納める意味を説いている。しかしこの個所の解釈史は深刻。王権神授説、どんな権威にも逆らえない。近代になって社会契約に由来する権威となってからも、ヒトラーの時代や日本の戦中の教会の中に悪しき権威に忍従する態度を容認することに援用された。実際悪しき権威の上にも神はおられ、神は常に創造者、時は過ぎ去る故(終末との関連)しかし本文そのものには抵抗の可能性、むしろ抵抗すべきことも示唆あり。恐れないこと、善を行うこと、良心の為。教会が政治にどう関わるかではなく、あるいは教会は政治に関わらないというテーマではなく、12章につづいて共同体(教会)の個々人の生活=体が権威者のもとでどう生きるか、より広い他者のためにどうするのかが問われている。

3,8節以降もひとつのつながりで読む。愛の道、恵みの構築のテーマ。もともとはまとまりのある別項?共通点、貢と税にふれた時、義務という言葉に関連して結びついた。愛の他には借りがあってはならない。上にたつ権威がどのようであれ正しいことの為に剣を帯びる者として(剣は軍事力ではなく司法のこと)良心のために従う。良心とは神と共に知ること。みこころを尋ねて従う。この時神によらない権威を見抜くことも出来、真の権威、神の将来に関わる力を知ることも出来る。何らかの闘争、抵抗をえらぶ時も、もっとも近い隣人たちへの愛の故に行う。愛という負債のために、愛するという義務の為に決断する。

4,善政であれ悪政であれ国に負債はもつな。しかし愛の借りはよい。何故か。愛はゆるしゆるされることによって人と人を結びつける。愛の負債のない関係はない。愛は立法を全うする。十戒の要約、主イエスに由来(マルコ12:38、ちなみに税金についても同じ所に記されている)

5,愛を借りて生きよ。愛はただ?そうではない。愛を借りたなら愛して生きよ。借りた当人にではなく(他の人々に 他の状況で)なぜなら私たちは神に大きな負債があり、それをゆるしていただいている。ゆるされていること≠負債0。神に負債を返すことはできない。かえせない大きく深い罪はキリストが負って下さった。

大きすぎる愛の負債を知っている故に、共同体はかえさなくてよい負債をかえしていくかのように互いに愛しあいゆるしあい仕えあい建てあって生きることができる。この時、善と悪のために命を捨てることも・・・(善と悪の場こそ政治)

6,私自身の経験。20歳の時ハンセン病療養所のワークキャンプに参加。そこで多くの愛を借りていること、ハンセン病の方々に対し社会的に責めを負うことを知らされた。打ちのめされた。聖書が読まれ(ロマ13:8)私たちに負債があると感じられるならどうぞ借りといてください<愛の他には…>と書いてありますからと言われた。そしてたしか他の人に愛を返して生きて下さいとすすめられた。但し好善社の理事長はワーク終了後キャンパーたちに愛という借りについてよそで返すことをすすめなかった(と思う)。特に又きます、又会いましょうと言った人は(ほとんど皆そう言って別れた)必ずもう一度来るように、その人を療養所を再び訪ねることを言明した。その日から(ワーク三回、夏期伝道一回)50年、愛の負債はさらにふえていった。そうして借りのあるままでやがて人生をおわる。出会った人はもう亡い。

7,生活は政治の中にある。政治にむきあってなすべきことをなしつつ(すすんでであれ、抵抗しつつであれ)神にはもちろん隣人に愛という負債のあるゆえに、共同体の歩みのため、すべての人、特に虐げられ命の危機にある人、排斥され忘れられる人のためにこそ、世の権威者=仕える者たちのため上なる真の権威者に手をあげて御こころが成るよう祈ろう。アーメン