礼拝説教「創造の神」(2021年10月24日)

創世記2章4~9節 ヨハネの黙示録4章9~11節

関 義朗(せき・よしろう)牧師

降誕前節を迎えて

教会暦では今日から降誕前節となりました。あと約9週間で御子のご降誕をお祝いするクリスマスを迎えます。この期間に私たちは神の創造の御業を思い出し、救い主イエス様を待ち望む時を過ごします。「懐古」と言う言葉があります。この言葉について中国の偉大な文学者の魯迅は次のように語りました。

「古いものを思い返すことこそ、その新しさは日々に新しくなり、その“古”も生命を失わない。もしもこの道理を知らないで、みだりに自慢して自己満足していると、無明の闇はその瞬間から始まるであろう。」

私たちがこの世界の創造についての聖書の御言葉に耳を傾けるのは、私たちの今がどのようにしてあるかということを考えることであります。私たちは突然、この世界に現れて、意味もなく生きているのではないということを今日与えられた御言葉から受け取りたいと思います。

望まれて生まれた私たち

創世記2章4節から9節には世界と人間の創造が記されています。人の創造に関して、7節に「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」と書かれています。私たちの体はこの地球にあるものからできています。骨はカルシウム、筋肉はタンパク質でできていて、タンパク質を分解していけば主に炭素と窒素になります。そして人の体で一番多いのは水で、体の約6割は水だそうです。まさに私たちの体は土の塵からできています。その体に神は息を吹き込まれました。神の息は神の霊です。私たちは神の霊を吹き込まれて生きるものとなりました。

人が生まれるというのは生み出す源である神がおられるということです。神の御心すなわち望みがなければ私たちは生まれてくるはずがありません。神がお望みになり私たちが生まれました。誰一人として自らの意志によって生まれた人はいません。すべての人が神によって望まれて生まれてきたのです。

コリントの信徒への手紙2には『「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。』(2コリ4章6、7節)と書かれています。

土の器は年月が経てばボロボロになりひびだらけになります。私たちも年をとれば体は衰え、いろいろなことができなくなり、物忘れをするようにもなります。そんな自分が情けなくなることがあります。若い人でも傷つくことがあります。普通だったらそんな土の器に宝物を入れません。しかし神は私たちに神の息を吹き入れ、宝を与えてくださいました。私たちはそれを持っています。パウロは神の息を<神の栄光を悟る光>と表現しました。光はボロボロになりひびだらけになった器から外に輝きだします。土の器であることは決して悪いことではありません。神の息が私たちのうちにあり、神の光を輝かせるのです。

世を治めておられるキリスト

ヨハネの黙示録の御言葉にはヨハネが見た天上での礼拝のことが書かれています。玉座に座っておられるお方はこの世を治めておられるキリストです。キリストの周りにはエデンの園を守るケルビムと思われる生き物が「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」と唱えて、栄光と誉れをたたえています。そして24人の長老が権威の象徴である冠を脱いで御座の前に差し出し、キリストを礼拝しています。24人の長老はすべての人の代表者です。この人たちはキリストに11節の賛美の言葉をささげます。「主よ、わたしたちの神よ、あなたこそ、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、御心によって万物は存在し、また創造されたからです。」

このように黙示録には、世々限りなく生きておられて、この世界を治めておられるキリストが讃えられています。

宝を宿した私たちの働き

ある聖職者は次のように語っています。

『私たちは、愛の神である創造主の被造物として、この世に生まれてきました。私たちは神、そして互いのために存在する被造物の一部なのです。この事を心底から理解すれば、互いへの愛が溢れてくるはずです。それは無償の愛です。なぜなら私たちの存在そのものが、神からの無償の贈り物だからです。

それなのになぜ私たちは神より創り出されたことの有難さや、人類の脆さに、こうも無頓着になってしまったのでしょう。神からの、そして互いからの贈り物を忘れてしまったのでしょうか。自然がねじ曲げられ、ウイルスが野火のように広がって社会が崩壊し、悲惨な貧困が、途方もない富と共存するような世界に私たちが暮らしていることをどう説明すればよいでしょう。

人間社会の再生は、節度を知り、貧しくぎりぎりの生活をしている人々を心にかけることを意味しています。そして再生のカギになるのは、<負債を免除し、人間関係を修復し、回復するための時間>である<安息日(創世記2章2節)>と<安息年(レビ記25章1~55節)>です。それは地球が活力を取り戻し、貧しい人々が新たな希望を見出し、魂を再発見するための時間なのです。』(“Let us dream”邦訳「教皇フランシスコ コロナの世界を生きる」より、PHP研究所)

私たちがコロナで苦しむ中で、厳しい困難な現実に目を向けるだけでなく、創造の神に目を向けるように見方を変え創造の神を覚えるならば、この世界が神の御旨に背くことをしていることに無関心ではいられなくなります。

神の御言葉と応答

神はこの世界と私たちをお造りになりました。そして私たちは「望まれて」生まれてきました。私たちの中には宝が隠されており、年老いてボロボロになりひびだらけになった体から、また病んでしまった体から、神の栄光の光が輝きだします。

現実には沢山の困難がある中で私たちは生きています。しかし私たちには希望があります。この世界を創造し、治めておられる方の前に出て礼拝し、祝福を受けるという希望です。私たちは世界を修復し回復する神の業に連ならせていただいています。私たちを造られた主なる神を讃え、主に従って、主の御旨を為しつつ、日々を過ごしてまいりましょう。