聖書マルコによる福音書12章1-12節
空閑厚憲(くが・あつのり)牧師
御言葉の恵みをお受けするに当たりご一緒にお祈り下さい。
イエス・キリストの父なる神様、聖名を崇めます。今朝総ての事を整えて下さり、御前に召され共に礼拝を献げる恵みを深く感謝致します。イエス・キリストが、その十字架によって送って下さる事となりました聖霊を、語る者・聞く者が豊かにお受けすることが出来ますよう、私共を低くさせて下さい。そしてこの場に参加することが出来ない方々の上に一層の顧みをお願い致します。この祈り、イエス・キリストの御名により御前にお献げ致します。アーメン
近年、聖書学の研究はこれ迄の専門分野を超えて広く深く行われています。私の様な者にもその研究成果は惜しみなく恵まれます。この点に於いては、幸せな時代を生かされている事を実感します。長年、その生涯を聖書研究へ捧げられた先生方が、この世的に言うならば決して恵まれた状況下で過ごされているとは限らない事を知りました。日本学士院の件でも分かる様に、私共は元々学問へのリスペクトが低い国民性なのかと思ったりしますが・・・。
所で、元々勉強嫌いの私でしたので、「学問」に対してある種のコンプレックスと憧れの様な矛盾した感じがあります。しかしそんな中で、学問特に聖書学を専門とされている先生方は、口には出されませんが、それぞれの研究分野の基盤に、イエス様を知らされた者の喜びと感謝が深く染み入っているという事が伝わって来ます。
所で、この2年近く新型コロナウィルスに悩まされて来た私共ですが、このところ感染の勢いも下火になりました。終息に向かっているのか、一時的なものか、分かりませんが、しばし休息の恵みを感謝せざるを得ません。苦しい状況との戦いが、一息つく暇もなく続いたなら、どんなつわものでも弱ってしまいます。
本日与えられましたイエス様のお話では、主人の使いを次々に休むことなく攻撃する農夫たちです。イエス様が話された話としてマルコの教会の人々が口伝えていたこの話は、実に欲深く残酷なものです。人の世には、いつの時代にも、何処の文化圏にもこの様な目を覆いたくなる様な現実があります。しかし何故イエス様は、この様な私共が顔をそむけたくなる様な話をされたのでしょうか?
聖書学、特に本文・翻訳研究からのアプローチによれば、この話の1節から9節前半がイエス様の話された内容とされています。それ以下は、マルコの教会が編集したものとされています。確かにイエス様が語られた時から50年から60年経たマルコの教会の人々がこの話を聞いていた時には、余りにも衝撃的な話なのでどう受け取って良いのか、戸惑ったかも知れません。2000年後の私共も同じです。この話の始めの部分はイザヤ書の「ぶどう畑の歌」を思い出させたでありましょう。
イザヤ書5章1-2節をお読みします。
「わたしは歌おう、わたしの愛する者のために/そのぶどう畑の愛の歌を。わたしの愛する者は、肥沃な丘に/ぶどう畑を持っていた。よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り/良いぶどうが実るのを待った。しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。」
この箇所は、神がイスラエルの民の為にすべてを整えて下さったにも拘わらず、彼らは御旨に応えなかったことをイザヤが嘆いているのです。ここではぶどう畑の所有者は神です。そこでマルコの教会がイエス様の話を編集する時、ぶどう園の主人は神としたのかも知れません。そして神である主人が送った息子はイエス様、と考えるのは自然です。しかし2000年前、イエス様から直接この話を聞いた最初の聞き手は、どの様に聞いたでしょうか? 彼らはイエス様の十字架と復活の出来事を経験する前にこの話を聞いたのです。
彼らはどの様に受け取り、反応したでしょうか?彼らは直感したのではないでしょうか。「これは自分達が暮らしている社会そのものだ!」と。
ここに記されている状況は、イエス様がお育ちになった1世紀のパレスチナそのもの、正に1世紀のリアルパレスチナでした。イエス様はその御業と御言葉で神の御旨を証し始められる以前は、家具職人としてナザレ村で一家の生活を担っておられました。そのナザレの北西6キロに古代パレスチナの金融都市セフォリスがありました。ロンドンのシティやニューヨークのウォール街、日本橋の兜町の様なところが2000年前に存在していたのです。そこには多くの国から商人が集まって来て、大口の商取引が行われていました。ローマへの税金もこのセフォリスから納められていた様です。同時に巨万の富を持つ大富豪の邸宅から、道路で寝起きするホームレスの人々まで、貧富の差による差別が日常化していたのです。占領国ローマの税とイスラエル国民としての税と、そして神殿税と三重の納税を課せられていた人々は、いつ自分がホームレスに転落するかも知れない中を生きていたのです。そのセフォリスに住んでいる大金持ちの家具をあつらえる為、イエス様もヨセフさんと一緒にこの金融都市を一度ならず訪れになったかも知れません。当時の家具職人は、時には注文主の家の中まで入り、作り付けの家具や建具をあつらえました。近隣の村からやって来る職人たちは、注文主の豪華な生活ぶりを目の当たりにて、自分達の貧しさに驚きと共に、大きな疑問を抱いたことでしょう。
「自分達はどうしてこんなに貧しいのか、こんなに一生懸命働いているのに・・・」と。
セフォリスやエルサレムに住む大金持ちは、農作物を初めとして大きな商いをしておりました。天候不順による不作や病気などで貧しさに苦しむ農民に土地を形にして金を高い利子で貸し、終いには借金の抵当としてその土地を取り上げてしまうのです。
ご存知の様に、ユダヤの律法では土地の売買は禁止されていました。しかし現実は、多くの農民は先祖から受け継ぐ土地を奪われ、社会の最底辺に落ちて行くしかない社会でした。歴史書には紀元前4年、イエス様がお生まれになった年、このセフォリスで貧しい人々の暴動が起こった事が記録されています。
イエス様が話された話の農園の主人も、その様な大金持の一人であったでしょう。農民から取り上げた農地をぶどう酒を作る目的で整備し、本格的に良いぶどうが実り始める迄待っていたのです。かなりの資金力があるので出来る事です。苗を植え付け、4~5年経つと、ぶどう酒作りに適したぶどうが実り出します。主人は約束通りの取り分を受取る為、使いを出しますがひどい目に遭うのです。最後の手として主人は自分の息子を送ったが殺された、という話です。これを聞いた人々は、「これは自分達の村で起こっている事と同じだ! これこそが自分達の村の現実だ。」と思ったでしょう。
この時イエス様は時を置かず言われるのです。9節前半です。「さて、このぶどう園の主人はどうするだろうか。」と。
もし私共がこう問われたらどう答えるでしょうか?
これ程迄農民から拒絶されたなら、もうこのぶどう園経営は諦めてしまおうか、或は又 「ものは相談だが・・・」と農民と交渉するかも知れません。しかし多くの歴史の事実は、富と権力を持つ者、この場合地主はその財力を使って、傭兵のような軍団をぶどう園に行かせ、農民グループを潰してしまうのです。最近ではミャンマー、香港、パレスチナ、然りです。富と力は徹底的に反撃するのです。先程触れました紀元前4年のセフォリスの暴動も、ローマ軍により鎮圧され、街は瓦礫と化しました。しかしその後再び金融都市として栄えるのです。
所でこの話の農民は以前は自作農として先祖伝来の土地を耕していた人々でした。しかし彼らは今や借金の返済の為に、土地を手放さざるを得なくなったのです。そして自分達から土地を取り上げたぶどう園の主人の下で「雇われ農民」として働いているのです。大方の大規模ぶどう園がこの様な状況の下で経営されていました。それが 1 世紀のパレスチナでした。農園主の下に一極集中する富。日々激しくなる貧富の差。そこから派生する色々な差別。そしてそれは、一触即発の危険をはらむ欲望と暴力の渦巻く社会でした。
たとえの中で、「ぶどう園を作り、垣を巡らし」とありますが、先程お読みしたイザヤ書のブドウ畑には垣は作られていません。たとえの中のブドウ園では、防犯の為、垣が必要だったのでしょう。物騒だったからです。これらの状況を知らされると、主人からの使いの僕と、更に主人の息子への激しい暴力行為の背後には、主人に対する敵意と鬱積している怒りと悲しみさえ感じます。
イエス様の譬えでは農夫たちの暴力がとても詳しく語られています。聞いている人々は、うっぷんを晴らす様に、 思わず「そうだ、ヤレヤレ!」と言ったかも知れません。暴力は暴力を誘い出すのです。
聞いた話ですが、アメリカの日曜学校で牧師が、この箇所を話した時、農夫たちの僕への暴力行為に子ども達が、立ち上がって、「警察は何をしているんだ! この乱暴な農夫たちを早く捕まえて牢屋に入れろ!」と騒ぎ出したそうです。無理もない事です。
それでは多くの謎を持ったままイエス様のこの話が語り継げられ、初代教会の大事な福音書として書き留められ、聖書に収められているのは何故でしょうか。それはイエス様が語られた元の話、オリジナルの話が、聞いた人が忘れられない強い力を持つものであったからでありましょう。
所で不慮の事故で亡くなられた向田邦子さんのエッセー集に「書く言葉は消しゴムで消せるけれど、語られた言葉は消せない」とあります。語られただけの言葉でも意味のないものは勿論自然に消えて行くでしょう。しかし聞いた人に強い印象を与えその人に行動を起こさせる様な言葉は、語られただけであっても消えずに、聞いた人の心に生き続けるのです。そしてほかの人に語り伝えられるのです。イエス様の話は語られたものです。それも教育を受ける機会もなく一生働きずくめの貧しい人々に対して語られたものです。古代パレスチナの実に厳しい社会状況の下で、繰り返される暴力と軽んじられる人の命のこの話を通してイエス様は一体何を明らかにされたのでしょうか。確かに私たちが生きている世界は、この様に救いようのない程に不正と、殺意に支配されています。悲しいかな私たち自身が努力して作り出し営む社会は、ともすれば直ぐこの様になり易いのです。だからイエス様が父なる神様から示された道によって新しい生き方を始めて下さっています。
しかし私共は自分の力では新しくはなれないのです。ですからイエス様に託された父なる神様の御旨を受けさせて頂きたいのです。そして、この富と権力の一極集中を繰り返すしかない私共の愚かさと弱さを直視し、救って頂きたいのです。その為に父なる神様は、イエス様を今、ここに私共と共におらせて下さっているのです。
所で、アフガニスタン、ミャンマー、香港などの民主化が踏みにじられ、世界各地に祖国を追われた人々が難民キャンプに身を寄せています。私共自身が創り出す社会は、富と力を一極に集中させ、暴力と殺意が支配する社会へと転げ落ちる事を歴史の現実は今も明らかにしています。しかし私共はそれを直視したくないのです。
正にマルコによる福音書12章1~9節のイエス様の話は、私共にとって見たくない、直視したくない現実です。しかしイエス様は、私共の首根っこを押さえる様にして、私共の社会の弱さと愚かさと残酷さを直視させて下さり、9節に「さて、ぶどう園の主人はどうするだろうか」と問われるのです。
この問いはそのまま私共へと問いかけられているのです。
残念ながらイエス様のお話と現代社会は、本質的に余り変わっていない事を認めざるを得ません。私共は救われなければならない存在なのです。だからクリスマスを待ち望むのです。
この「ぶどう園と農夫」の話によって貧しい人々は暴力と殺意のサイクルから救い出されたのです。そして彼らにイエス様は、悪いのは誰かという犯人探しではなく、人間の思惑だけで作られる社会の残酷な実像を明らかにして下さいました。そしてそこからの救いの希望を力強く語り掛けられたのです。暴力に走るしかない底辺の人々に対して、イエス様は父なる神様から新しい導きを受けて、新しい世を始めようと呼び掛けられたのです。それ迄権力を持つ数パーセントの支配者層から人間扱いされたこと等なかった彼らに、イエス様は、仲間として神の国建設の実現を呼び掛けられたのです。
それは、私共一人びとりがイエス様の御導きを喜んでお受けし、少しずつ変えられる事です。その事がイエス様の神の国建設の工事現場に喜んで参加し、レンガ1個でも積み上げる事の出来る喜びです。そしてその呼び掛けは、彼らにとっても人生で初めての驚きと喜びでした。ですからこの話は不完全な形でありながら残りました。そして、何処にも救いの見い出せない人間社会の現実であるこの話をイエス様から聞いたからこそ、私共は救い主を渇望する者とされているのです。だから私共はクリスマスを祝うのです。 感謝です。
お祈り致します。
主イエス・キリストの父なる神様、聖名を崇めます。
私共があなたを信頼する前にあなたは私共を信頼し、この世界を委ねて下さいました。にも拘わらず私共は人間的な富と力の一極集中によってあなたの御旨に反した暴力と殺意の支配する世界に落ちてしまいました。イエス様が命を懸けて明らかにして下さっている私共の実像を直視させられる今、深く悔い改めます。お許しください。私共は、導かれ救って頂かなければどの様な強大な力を持ったとしても空しいのです。ですからクリスマスを深い感謝をもってお受けいたします。有難うございます。2000年前、文字も読めない貧しい人々に、真剣に語り掛けて下さったイエス様の肉声が、2021年を生かされている私共に届いている事を深く感謝します。2000年前ガリラヤ湖畔で、ナザレ村で、エルサレムで、イエス様の側をウロウロしていた人達の様に、今、シリアで、ベラルーシで、アフリカの各地で、多くの人々が祖国を失ってたたずんでいます。
本格的寒さが近付いています。彼らの目の涙をぬぐい取って下さい。十字架の死によって私共に新しい希望を恵んで下さっている救い主イエス・キリストの御名によってこの祈りを御前にお献げ致します。
アーメン