ルカによる福音書5章1~11節
学校法人明治学院学院牧師 北川 善也
漁師たちは、いつものように夜が更けてから舟で沖合いまで漕ぎ出し、大きな網を湖面に投じました。しかし、その夜は何度網を投げ入れても、魚が少しもかかりません。彼らは何度も挑戦しましたが、いつもと違って全く駄目でした。明け方近くまで試しても駄目なので、もうこれ以上やっても無駄だとあきらめて岸辺に戻りました。そして、疲れ切った体と虚しい思いで陸に上がって座り込み、網の手入れをしていたのです。
そんな漁師たちの姿をご覧になっていた主イエスは、突然シモンの持ち舟に乗り込まれ、岸から少し漕ぎ出すようにと言われました。さらに主イエスは、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」とお命じになりました。主イエスのおっしゃることは、漁の常識に反していました。こんな日中に魚は捕れるものではありません。しかも、長年この仕事に取り組んできた、いわばベテランの漁師である自分たちが夜通し、何度挑戦してもダメだったのです。ですから、それは全く無意味なことでしたが、主イエスに対して「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」とシモンが答えたのは、あまりにも疲れ切っていて反論することさえ面倒くさかったからでしょう。
ところが、シモンが何の期待もせず、惰性のように網を降ろすと、すぐにおびただしい魚の群れがかかり、勢いよく暴れる魚の動きで舟が沈みそうになりました。これは明らかに異常事態です。だから、本当なら大喜びするべき大漁という出来事が起こっているのに、シモンは畏れおののいて主イエスの足元にひれ伏し、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と告白するのです。
シモンの口からこのような言葉が出てきたのは、彼の身に起こったのが人生を一瞬のうちに振り返らせるような出来事だったからでした。その時シモンは、自分が今までいかに傲慢な生き方をしてきたかということに気づかされました。そして、この気づきこそ、徹夜の漁で疲れ切っていた、いやそれどころか人生そのものに疲れ切っていたシモンにとって何よりも必要なことだったのです。
さらに、これは主イエスがこれからシモンたちに託そうとしておられる重要な働きを示す出来事でもありました。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と主イエスは言われます。これから「人間をとる漁師」として召されていく彼らに対して主イエスは、「あなたの働きが生み出す実りは、人間ではなく神の御力によってこのように豊かなものになる。だから恐れることはない」ということを、言葉と行いをもってはっきりと示されたのです。