イエス様の十字架の七つの言葉の中で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)という叫びほど私たちの心を騒がせる言葉はありません。もしこの言葉を叫ばれなかったとすると、イエス様は雄々しく私たちの罪を背負って十字架の死を受け入れたと、私たちは理解するでしょう。それは私たちの死とは違うものであります。しかしイエス様が父なる神から捨てられたという叫びをあげられたことで、私たちはイエス様が私たち以上に苦しい死を遂げられたことを知ったのです。
御子イエス様の父なる神は十字架の時にイエス様の叫びにお答えにはなりませんでしたが、そこにおられました。父なる神の人間に対する無償の愛は御子を十字架につけるほどに徹底していました。それは人間に与えてくださった祝福の約束を守るためであり、罪を憎んで人間をご自分に立ち帰らせるためでした。神に背き自分の思いや欲望を第一としている私たちをイエス様の命によって贖ってくださったのです。
イエス様が私たちの一番低い所におられて、叫ばれたから、私たちは死の苦しみと恐怖の時に叫ぶことが許されていることを知りました。父なる神を求めるということの本当の意味を知りました。
死は誰でも通らなければなりません。しかも人間は誰もその人の死に寄り添うことができません。一人で死を通らなければならない。その時に一緒に居てくださるお方は主イエス様です。イエス様が一番低い所で叫ばれたから、その叫びによって私たちは安心して死を通り越すことができます。私たちがどのような場所で、どのような死を迎えようとも、主はかならず私たちに伴っていてくださいます。