12月24日クリスマス燭火礼拝説教「神さまの贈り物」

まことの光

礼拝の最初にクランツの蝋燭に火が灯されました。この光は「まことの光」であるイエス様の象徴です。聖書に「光は暗闇の中で輝いている」(ヨハネ福音書1:5)とあるとおりです。この光は先ほど皆さまのお手元の明りに移されました。

人となりたもうた神は弱く貧しい赤ちゃんとして

クリスマスは神が私たちの世界に来られた日です。神はこの世に来られた時、赤ちゃんとしてお生まれになりました。それは一人では生きることができない弱さの象徴です。そして飼い葉桶に寝かされました。それは貧しさの象徴です。不衛生なところで誰にも知られることなく、弱く貧しく、救い主イエス様は誕生しました。それは神さまが私たちを愛しておられることを示された出来事でした。

この世の不条理

ウクライナでの戦争では双方の兵士がそれぞれ10万人も死んだり負傷したそうです。民間人の死者は4万人を超え、避難者の数は少なく見積もっても1500万人以上、これはウクライナの人口の4割に達します。多くの人が被害を受けて苦しんでいます。

国内に目を向けてみると、1年間の自死者数は2万人を超え、その内、小中高校生の自死者が500人ほどもいるそうです。若者たちが戦場や暴力で殺される国と、日常への絶望から自ら死に向かう若者たちがいる国。どちらも若者の未来が少しずつ壊されています。高齢化がますます進み認知症の人が増えています。介助なしでは生きられない、しかし人には頼りたくないという葛藤の中で生きなければならない。

このような世のために、私たちを救うためにイエス様は最も弱く貧しいお姿で来られました。それは2000年前のユダヤのためではなく、今日の全世界のためでした。そしてこのことを証しし、人々を神さまに導くためにキリスト者が生まれました。

人間の絶望

話は変わりますが、スヌーピーとチャーリーブラウンが登場する漫画『ピーナッツ』をご存じでしょうか。この漫画にこんなお話があります。

チャーリーと友達のルーシーが病院ごっこをしています。患者のチャーリーが医者のルーシーに「さびしくって、気がめいって」と相談しました。すると、ルーシーは「ばかげてるわ。この世界全体があなたのものなのよ。まわりは全て美しい。独りぼっちの人間なんていないのよ。」とアドバイスしました。するとチャーリーは「そのとおりだ。君のおかげで見方が変わったよ。ぼくはひとりぼっちじゃない。友達がいるんだ」と嬉しそうに言いました。そこでルーシーが「じゃあ、名前を挙げてごらん」と言うと、チャーリーが絶句するというストーリーです。

思わず「ある、ある」と言いたくなるお話です。この漫画には、現実には友達がいないという、皮肉が隠されています。人間同士は分かり合えない存在です。どんなに親しい人でも私をすべて知っている人などいません。人に対する不信が暴力や迫害、そして戦争を産んでいます。

詩編69編の祈りにこのようなものがあります。「わたしが受けている嘲りを、恥を、屈辱を、神さま、あなたはよくご存じです。わたしは嘲りに心を打ち砕かれ無力になりました。望んでいた同情は得られず慰めてくれる人も見いだせません。」というものです。この祈りには絶望があります。

神の素晴らしい贈り物

しかし、この祈りを聞いてくださるお方がおられます。私たちのことを心にかけ、私たちを守りたいと欲しておられるお方がおられるのです。このお方は一人ひとりのことをすべてご存知で、ご自分の命を懸けてあなたを守り、導き、道に迷ったら救い出してくださるお方です。このお方がイエス様です。

このお方が弱くお生まれになり、貧しく生きたのは、あなたに寄り添うためです。このお方はよみがえられて私たちに聖霊を送ってくださり今も私たちの側に寄り添っておられます。

このお方を神さまは私たちに贈ってくださいました。このお方こそイエス様、私たちの救い主キリストです。このお方をマリアやヨセフや羊飼いたちのように、恐れを超えて、受け入れてください。そうすれば、あなたの人生の道は整えられており、神が導いておられることを知るでしょう。

礼拝の最後に私がクランツの蝋燭の炎を消します。皆さまにはお手元の光をイエス様の光として心に移していただければと思います。