聖書 ミカ書5章1節、ルカによる福音書2章8節~20節
心の中に秘められている大問題
今年最後の礼拝はイエス様降誕の日となりました。昨日、私たちは御子イエス様がこの世界に来られたことをお祝いする燭火礼拝をおこないました。
しかし私たちのこの喜びにもかかわらず、今年は世界が破滅へと向かっているのではないかと思える一年でした。今日において、希望とは何か? これが私たちの心の中に秘められている大きな問題ではないかと思うのです。本日は羊飼いたちに訪れた驚きの出来事を通してこのことを考えてみたいと思います。
羊飼いたちの恐れと天使のお告げ
イエス様がお生まれになった夜、夜通し羊の番をしていた羊飼いたちに主の天使が近づき、辺りは主の栄光によって照らされました。羊飼いたちが遭遇した出来事は驚愕の出来事であったろうと思います。羊飼いたちは恐れました。しかし、この恐れは私たちの恐れとは違います。私たちが今日抱いている恐れは世界で起きている悪い出来事を見聞きして、世界は破滅に向かっているのではないかと思う漠然とした恐れです。しかし羊飼いたちの恐れは目の前で起きている天的な出来事に対する恐れであり、それは具体的な恐れです。
恐れている羊飼いたちに天使はイエス様の誕生という「良い知らせ」を告げました。良い知らせ、それを聖書は「福音」と記しています。
これに続いて天の大軍が加わり神を賛美し、そして次のように言いました。「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」 この言葉には神の栄光と地上の平和が告げられています。
天使のお告げに隠された意味
ところが、この言葉こそが大きな謎であります。天使によって福音が告げられ、神の栄光と地の平和が告げられたにもかかわらず、この地は戦争や暴力といったものが至る所で起きています。御子がお生まれになり天使が神の栄光と地の平和を告げたにもかかわらず、まことの平和が実現していないのはおかしいのではないかと思いたくなります。
このことについて詳しく聖書に聞いてまいりたいと思うのです。天使たちの賛美はいと高き所における神の栄光と地上における神の業との両方に向けられています。この二つがひとつに結ばれていることに大変重要な意味があります。
「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」
すなわち天にある神の栄光が地に現れたという<御子イエス・キリスト誕生>に現わされたこの栄光を、すべての人々が讃えるならば、地上にはまことの平和が実現するということが告げられているのであります。
まことの平和は力の均衡、すなわちパワーバランスによって実現することはありません。それは力による抑圧だからです。そこには常に緊張があり、いつ破綻するか分からない恐怖があります。
神の栄光と地上の平和は二つがセットになっていると申しました。言い換えれば「神の栄光が現れたにもかかわらず、人々は神を神として崇めていない。一人ひとりが勝手な考えや行動をしている。だから、地上の平和も実現していない。」と言えると思います。
まことの平和を実現する信仰の闘い
アルゼンチンの独裁政権の時期に作られた讃美歌に「Tenemos esperanza」(スペイン語)というものがあります。日本語の題名は「だから今日希望がある」です。当時のアルゼンチンでは反対派の人々が処刑され、子供誘拐などの犯罪が頻繁に起きていました。それに立ち向かった母親たちの運動の中からこの讃美歌が生まれました。1節の歌詞は次のようなものです。
主がこの世界、この歴史に入ってこられたから
沈黙と苦悩を破られたから
この地をその栄光で満たされたから
私たちの寒い夜の光であったから
暗い馬小屋でお生まれになったから
愛と命の種を蒔かれたから
頑なな心を砕いて、打ちひしがれた魂を起こされたから
だから今日、私たちには希望がある だから恐れずに闘う
だから今日、私たちは希望をもって、抑圧された民の未来を見つめる。
この歌詞にはイエス様が神の身分をお捨てになり、人としてこの世に降られたこと、そしてまたイエス様と私たちとの関係が見事に歌われています。イエス様が弱く貧しいお姿でこの世界に現れてくださったので、今日(きょう)、私たちに希望がある、だから恐れずにまことの平和を阻む者と信仰の武器をもって闘う、と力強く歌います。
スペイン語の讃美歌 Tenemos esperanza
日本語の讃美歌 だから今日希望がある
2023年も神の栄光を讃えよう
地上にまことの平和がもたらされるためには信仰の闘いが必要です。イエス様はまことの平和をもたらすためにこの世界に来られました。そして私たちはそのためにキリスト者としてこの世界に立たされています。
この闘いは殺戮の武器をもっての闘いではありません。神の武具である福音と信仰と救いを身につけ、聖霊に助けられておこなう闘いです。この闘いには忍耐が必要です。忍耐とは神の言葉に立ち続けることです。そして私たちは必ず勝利することが約束されています。私たちには救い主が共にいてくださるからです。
預言者ミカは遠い昔にこのことを神の言葉として告げました。「ベツレヘムよ。お前の中から、わたしのためにイスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。」
このお方、救い主イエス様は永遠の昔からおられたお方であり、この世を治められるお方です。ですから私たちは今日も希望を持ち、信仰の闘いを続けていくことができます。主がこの世界、この歴史に入ってこられたのだから、私たちには希望があります。
この闘いによって、地上に神の栄光を讃える人々が満たされ、それによってまことの平和が実現します。これは孤独な闘いではありません。神さまと共に、また信仰の家族と共におこなう希望に満ちた闘いです。
今年一年を振り返る時、私たちは自分たちの安寧を願うのではなく、神の栄光を讃えてきました。私たちの歩みは神の御心にかなったものでありました。来る2023年も神の栄光を讃えて、主の御言葉を伝えてまいりましょう。