聖書 イザヤ書60章1~3節、マタイによる福音書2章1~12節
新しい年の始まり
クリスマスを喜ぶ喜びの中で、新しい「主の年」2023年が始まりました。今年も主と共に歩む信仰の生活を送ってまいりましょう。コロナ災禍の中にあっても、礼拝堂に会する人とインターネットに集まる人が、共に主を賛美することができます幸いを主に感謝します。
キリスト教会でクリスマスをお祝いするのは、12月24日のクリスマスの夜から、1月6日に東方の三博士が幼子イエス様を探し当てて礼拝した記念日までの期間です。この間に新年を迎えます。土気あすみが丘教会ではこのクリスマスの期間に、玄関にリースを飾り、庭のクリスマスツリーにイルミネーションを点灯しています。クリスマスの期間に新しい年を迎えるのは嬉しいことであります。
新型コロナウイルスの感染者が増加しており、私たちは日常生活で感染に気をつけなければなりませんが、どのような形であっても「主の日」の礼拝を続けるのは、私たちが食事を抜くことがないのと同じことです。霊的な糧をいただかなければ私たちは心は弱ってしまい、感染症だけでなく、それに伴って現れて来るいろいろな悪に耐えることができません。このような時だからこそ、御言葉の糧をいただき、祈り、私たちの霊を強く保ちたいと願います。
クリスマスに現れた光
私たちは先ほど、「東方の占星術の学者たちが星を観察することによって、ユダヤ人の王がお生まれになったのを知り、星に導かれながら、はるばる旅をして、ユダヤに行き、ベツレヘムの町で幼子イエス様を見つけて、礼拝した」という聖書の御言葉を聞きました。
この御言葉はクリスマスの時期に、必ずと言ってよいほど読まれる箇所ですのですので、きっと皆さま良くご存じのことだと思います。この御言葉に関係する思い出を持っている人も大勢おられることでしょう。私は大人になってから教会に行きましたので、子どもの頃にクリスマスの劇に出たことはありませんが、洗礼を受けてからは教会に来る子供たちと一緒に演じました。それはクリスマスが特別のものであることを私に教えてくれました。教会学校の先生をする人たちと、あれこれ準備するのは仕事をしながらでしたので大変ではありましたが、普段と違う特別な日を迎えるという期待と喜びがありました。クリスマスはそれぞれの人が心に暖かい思い出を持っているように思います。
イエス様がお生まれになった頃、東方の博士たちは星を観察していてユダヤに王が生まれたのを知りました。ユダヤ以外の外国人がユダヤの王の誕生になぜ関心があったのかということですが、当時、ユダヤ周辺の国々の人々は偉大な世界の王を熱望していました。たとえば、ユダヤの東方に位置するバビロニア人たちは、そのお方が西方に生まれると期待していました。なぜそのような期待があったのかは今となっては知ることができませんが、このことはその当時の文献に記録されているので間違いないことです。
ユダヤの人々にとって、そのお方は「ヤコブの星」と呼ばれていました。民数記24章17節には次の言葉が書かれています。
「ひとつの星がヤコブから進み出る。ひとつの笏(しゃく)がイスラエルから立ち上がる。」
笏は王の権威を表わす象徴ですから、この預言はイスラエルすなわちユダヤに王が現れるということを示しています。
イザヤ書60章1節には「起きよ、光を放て。」という神の命令が記されています。その理由をイザヤは「私たちを照らす光は昇り、主の栄光が私たちの上に輝く」からであると記しています。
災禍の中での光
コロナ災禍の中で俯き、倒れそうな私たちにもこの星は現れました。もちろん実際の天空に現れたのではなく、聖書の御言葉として現れたのでありますが、今まさに、私たちは「起きよ、光を放て」という主なる神の言葉を聞き、東方の三博士のように、この礼拝堂でイエス様を礼拝している、そういう光景が今まさにここにあるのを感じます。
王や貴族が真っ先にイエス様を見つけたのではなく、神を知らない異国の人が星に導かれてイエス様を見つけ礼拝しました。私たちは洗礼を受け、神を知っていますが、2020年から続いているコロナ災禍の恐怖、それは感染するかもしれないという恐怖だけではなく、この先、感染することはないだろうか、生活はどうなるのだろうかといった恐怖、に押しつぶされようとしています。このような時に、「あなたを照らす光は昇った」と神は告げるのです。その光を尋ねて旅をして幼子を見つけた三博士のように、私たちは聖書の中に、王であり救い主であるイエス様を見つけました。
イザヤは「見よ、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる。」と語ります。今がそうだといえるでしょう。世界は将来を見通すことができなくて、人々が計画していたことは無意味になり、多くの人が職を失ったり、生活に困窮するかもしれないという困難にさらされています。イザヤの言葉は過去のことに留まってはいません
イザヤは「しかし、あなたの上には主が輝き出で、主の栄光があなたの上に現れる。」という預言を語りました。そして「目を上げて、見渡すがよい。」と、私たちに「目を上げて、今起きていることを見渡すように」促します。すべての出来事には悪い面だけでなく、良い面があります。
災禍は人間の罪を明らかにして、根拠のない恐れや差別を引き起こしました。そのような中で感染症にではなく人々によって命を絶たれた人たちがいます。しかしながら、私たちは医療従事者や社会を維持する人々の努力と忍耐を知りました。そしてまた一人ひとりが公衆衛生に対する意識を高めています。このような良い面も確認することができます。更に、「ウイルスとの共存の知恵」ともいうべき新しい生活スタイルが形作られています。今は「ウイルスが人間に感染する勢い」が強く、人間は無力なように感じますが、必ずや神が私たちを守って災禍から救い出してくださいます。私たちの一人ひとりの努力と忍耐は無駄ではありません。
主なる神を礼拝することは、私たちの安心の根源です。感染症に罹らないという安全を求めることは、行き過ぎると不必要な恐れと、その恐れから来る差別につながります。感染症はある意味、自然現象ですが行き過ぎた恐れや差別は人間が心の中で生み出すものです。
俯くのではなく光を仰ぐ
イギリスの99歳の退役軍人は歩行器を使って自宅の庭を延々と歩くチャレンジで募金活動を始めました。するとインターネットでこの事が広まり日本円で6億4700万円を超える寄付金が集まりました。一人の良心が多くの人の良心を強め、コロナ災禍に対抗する力を示したのです。
光に向かって
イエス様の誕生そして贖いの死と復活の後に書かれた新約聖書には次のような御言葉があります。ペトロの手紙第2の1章19節
こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。
黙示録22章16節のイエス様の御言葉
「わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。」
三博士の訪問は現代の私たちの姿です。私たちは今でも明けの明星を見上げることができます。天空にではありません。それぞれの心の中にです。
私たちは今日、幼子イエス様に出会って、「このコロナ災禍によって俯き、倒れそうに弱っていた心」を強められ、希望を見い出すことができました。
使徒によって預言され、キリストがお語りになったように、私たちはキリストの再臨までの間、困難な状況の中でも目を上げて、明けの明星であるイエス様を見上げて、希望を失わず日々を過ごしてまいりたいと思います。