7月21日礼拝説教「憐れんでくださる」

聖書 エレミヤ書23章1~6節、マルコによる福音書6章30~34、53~56

「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。」(マルコによる福音書6章34節)

西千葉教会の120年と土気あすみが丘教会の40年

先週は西千葉教会との講壇交換礼拝をおこないました。こちらには菊地信行先生と黒川千明さんが来て一緒に礼拝し、西千葉教会にはMKさんと私が行って西千葉教会の方々と一緒に礼拝しました。西千葉教会は創立120周年です。その西千葉教会が80周年の年に土気あすみが丘教会が生み出され、それ以来、40年間姉妹教会として共に歩んでまいりました。西千葉教会のパイプオルガンはメンテナンスを終えたばかりでとても素晴らしい響きを奏でていました。私はその音を聞いて西千葉教会が新たな一歩を歩み出したことを感じました。

私たちの教会も西千葉教会との絆を大切にして41年目の歩みを始めています。パイプオルガンはありませんが教会員所有のリードオルガンと教会所有の電子オルガンやピアノを用いて土気あすみが丘教会らしい礼拝をささげています。

神に従う「残りの者」

本日は旧約聖書エレミヤ書23章1節から6節が与えられました。預言者エレミヤはユダ国がバビロニア国に滅ぼされる頃のユダ国の末期に、主によって立てられた預言者です。紀元前1030年頃に古代イスラエル統一王国が建国してから紀元前586年にバビロニア国によってユダ国が滅ぼされるまでの444年間、ダビデ王の子孫が王となりユダヤ人たちは自分の国を維持していました。

預言者エレミヤはユダ国滅亡の年の約40年前に主なる神から預言者として召命を受けました。彼は召命を受けた時「ああ、わが主なる神よ/わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」(1:6)と答えましたが、主はエレミヤを励まし預言者として立てました。彼はまったく自分の意志ではなく神の招きによって預言者となったのです。

23章にはユダ国の王や高官が自分たちの保身ばかりを考えて民の窮乏を顧みないことに対して主なる神が審きの言葉を語ったことが記録されています。一方で、この箇所は主が神の民を救うという救済の預言です。

1節の「羊の群れ」とは神の民のことです。旧約聖書ではアブラハムの子孫を指す言葉ですが、イエス様が地上に来られてからはキリスト者を表します。この人たちは神の守りと導きのうちにあります。

主はユダ国の指導者たちに向かって「あなたたちは、わたしの羊の群れを散らし、追い払うばかりで、顧みることをしなかった。わたしはあなたたちの悪い行いを罰する」(2節)とはっきりと審きの言葉を語られました。この言葉はユダ国の滅亡を告げる言葉です。ユダ国の民も国の滅亡によって苦難を受けるのですが、主はその民を見捨ててはおかれません。

主は民に対して祝福の言葉を語りました(3節)。散らされた羊である民を集め、主のまきばに置かれます。この言葉はバビロン捕囚後の解放を予言しています。主は裁きの後に、主に立ち帰った民を贖ってくださると約束されました。ユダ国の指導者たちによってばらばらになった人々は再び集められるのです。この「残りの者」こそ主を崇め続けた人々です。国の滅亡という破局の後に新たに神の民が形づくられるのです。

主はエレミヤの口を通してユダ国の民を守り導く牧者を立てることを告げました。これは主イエス・キリストの到来の予言です。神の民は恐れることも、おびえることもなく、また迷い出ることもなくなります。これは当時の不安と混乱の中にあった民に一筋の光明を与えました。この牧者は平和な時代を来たらせます。5節の「このような日」とは民を牧する牧者を立てる日です。主が語ったのですからその日は必ず来るのです。「ダビデのために」と書かれています。これはダビデに約束した主の約束を表します。まことの王であり救い主なる牧者はダビデの切り株から生え出でるのです。

内臓の痛みを覚えほどの主の憐れみ

エレミヤの預言から約600年後に主なる神はまことの王であり救い主であるメシアを世に遣わされました。このメシアはギリシア語でキリストと言います。そしてそのお方のお名前はイエス様です。

マルコによる福音書6章30節以下の本日与えられた聖書個所を通して救い主イエス様のお働きと人々の救いへの思いを通して、私たちの救いについて思いを新たにしたいと思います。

30節に使徒たちがイエス様のところに集まって来たことが書かれています。使徒たちはイエス様によって宣教の旅に出かけていて、今、イエス様のところに戻ってきました。弟子たちはイエス様に自分たちが行ったこと(癒し、象徴的な行動)や教えたこと(福音)をイエス様に報告しました。それは苦労の話であったでしょうし、各地で自分たちの教えによって人々が悔い改めた話だったことでしょう。

イエス様は使徒たちに人里離れた所に行ってしばらく休むように勧めました(31節)。イエス様のところに出入りする人が多くて食事をする暇もなかったから、使徒たちを休ませる必要があると判断されたのです。「人里離れた所」というのは「荒れ野」のことです。保養地ではなくて荒れ野に向かわせたのです。荒れ野には何もありません。しかし荒れ野は何もないからこそ主なる神と出会うことができるのです。忙しくしている時には主と対話することができません。次々といろいろな事柄に対処しなければならないからです。荒れ野では聖書を読み、黙想して、主を思うことに専念できます。ですからイエス様は人里離れた所「荒れ野」に行くように勧めたのです。

使徒たちはイエス様と一緒に船に乗って出かけました。荒れ野とは具体的にはベトサイダだったと考えられています。この名前は「漁師の町」という意味です。シモン・ペトロと兄弟のアンデレがイエス様に招かれたところです。

ところがイエス様一行が舟で出発したのに気づいた人たちは舟を追い、「徒歩で」一行より先にベトサイダに到着したと書かれています。そのようにしてまでイエス様を追いかけてくる様子を見たイエス様は「飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められました」。イエス様はその人々を憐れまれました。「憐れまれた」という言葉はギリシア語原典ではスプラグクニゾマイ(σπλαγχνίζομαι)と言いますが、これは「はらわたが千切れる」「内臓が痛む」という言葉から来ています。つまりイエス様が憐れまれたのは人々が飼い主のいない羊のようにならばらに放浪しているのを見て、ご自分の内臓が痛むほどに憐れまれたのです。この人々がエレミヤの預言にあった「群れの残った羊」です。ローマやユダヤの支配層によって虐げられていた人々、病に苦しむ人々、汚れたとされ社会からの獣にされていた人々でした。

この人々をイエス様は痛みをもって憐れまれ、そして「教え始められました」。何を教え始められたのでしょうか。学校の授業のように神さまとはどういうお方かという知識を教えたのでしょうか。イエス様が教えられたのは「神の国は近づいた」という福音であったと思います。イエス様は神の国に入るにはどのようにすればよいかを教えたのだと思います。人々はその言葉に光を見ました。希望を感じました。もちろんイエス様が十字架にかかり復活されるまでは、その光や希望はローマからの解放でしたが、それでもイエス様はそのことを咎めることなく、人々を心から憐れまれたのです。

この後、5千人の食事の奇跡が記録されていますが、本日はその先のゲネサレトでの病人や弱っている人の癒しの出来事についての記事が与えられましたので、そこを読みたいと思います。

5千人の食事の奇跡の後、一行は舟に乗って湖を渡りゲネサレトというところに行きました。ゲネサレトはガリラヤ湖の北にある港町です。この町で多くの人々が癒される出来事が起きました。人々はイエス様だと知ると、その地方一帯からイエス様のところに病人を担架に乗せて集まってきました。「病人」とは病気の人だけでなく「具合を悪くしている人たち」です。一見健康そうにしていても心の病を患っている人がいます。引きこもってしまっている人がいます。そのような人たちもイエス様のところに来ました。病人や具合の悪い人たちは広場に寝かせてもらい、イエス様が来られるとその服の裾にでも触れさせてほしいと願いました。この願うということがいやしの奇跡のきっかけとなっていることに目を留めたいと思います。重い病気の人は自分でイエス様に触れることができないでしょうが、それでも触れさせてほしいと願うことが大切なのです。心の病を持つ人はそのような気力を持つことも難しいでしょうが、やはりそのように願うことがいやされるきっかけになるのです。これは人間の努力がいやしのきっかけになるというように誤解されがちですが、そうではありません。

イエス様はすべての人を救うために十字架にお架かりになりました。この意味は、イエス様が私に触れて欲しいと願っているということです。イエス様は復活して天に上られ、天のまことの聖所でこのことを祈り続けておられます。弱いわたしたちのために執り成しておられます。

イエス様に信頼する

土気あすみが丘教会の歩みは救いを待っているだけではありませんでした。神の恵みを数え上げて苦難を乗り越えてきました。今日、教会がここにあるのは当時の人たちが神を求め恵みを数える礼拝をささげ続けたからでした。イエス様に触れようと願うことが大切です。イエス様は私たちの苦しみを痛みをもって憐れまれます。そのイエス様が必ず救ってくださること、今もなお私たちのために祈っていてくださることを信じ、イエス様に信頼してこれからも喜んで日々を送りたいと思います。