聖書 イザヤ書52章7~10節、ルカによる福音書1章26~55節、2章1~14節
マリアは言った。
「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」
そこで、天使は去って行った。(ルカ1:38)
説教(福音の宣べ伝え)
世界で最初のクリスマス
クリスマスおめでとうございます。先ほど、最初に預言者イザヤの書が読まれました。預言者イザヤは「地の果てまで、すべての人がわたしたちの神の救いを仰ぐ」(52:10)と告げて、救い主がお生まれになることを預言しました。そして時が満ちてマリアが聖霊によって身ごもり、イエス様が誕生したのです。ことの次第は次のようなものでした。
天使ガブリエルは神の使いとしてマリアを祝福し「いと高き方の子」、すなわち神の子を身ごもることを告げました。マリアが戸惑っていると、「神にできないことは何一つない。」と神の真実を伝えました。マリアはその言葉に促されるように「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と天使に答えました。
そしてマリアはベツレヘムの宿屋の馬小屋でイエス様を出産し、飼い葉桶に寝かせました。天使は野宿している羊飼いたちに救い主イエス様が生まれたことを告げ、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」と神を賛美しました。羊飼いたちはその赤ちゃんを探し当て、礼拝したのです。これが世界で最初のクリスマスです。
使命を与えて支えてくださる神さま
マリアは神を信じ自分の使命を果たすことを決心しました。マリアがこの使命を引き受ける決心をしなければ救い主はこの世にお生まれにはなりませんでした。しかしマリアが特別に信心深かったからというのではありません。ただ神の御心によってマリアにこの使命が与えられました。
当時は結婚前の女性が妊娠すれば殺されることになるにもかかわらず、マリアは天使のお告げを受け入れました。「お言葉どおり、この身に成りますように」という言葉は、「神さまは一番良いように私を用いてくださる」という信仰を表しています。生きることも、楽しいことも、苦しいことも、死ぬことも、すべて神さまが一番良いようにしてくださるということを信じることは私たちに出来ることではありませんが、このことを祈り求めることは許されています。私たちが神の使命を果たすときにはこのマリアの言葉を思い出したいと思います。
幼い子どもとご両親を支えてくださったイエス様
このことに関して、ゴスペル歌手の岩渕まことさん・由美子さん夫妻のことをお話ししたいと思います。まことさんは「心の友」に連載記事を書いているのでご存知かと思います。
二人にはあきこちゃんという女の子がいました。元気に育っていましたが6歳の時に脳に腫瘍が見つかり、手術で脳の半分くらいを切除して命を取り留めました。しかし半身が動かせなくなり言葉もはっきりとは話せなくなりました。ある日、由美子さんは娘のあきこちゃんを不憫に思ってベッドの傍で泣き崩れてしまいました。その時あきこちゃんはお母さんの頭をなでて、何かを言ったそうです。由美子さんは必死にその言葉を聞き取ろうとしました。そうするとあきこちゃんはその前の年のクリスマスでマリアになったときの言葉「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」を言っていることがわかりました。きっと、あきこちゃんはお母さんが非常に悲しんでいるのを見て、幼心にお母さんを励ましたいと思ったのではないかと思います。
由美子さんはあきこちゃんの言葉によってどんなに励まされたことでしょう。由美子さんはすべてを受け入れました。あきこちゃんはご両親の愛に包まれながら過ごし8歳で神さまの許に召されました。それから30年以上の歳月が過ぎ、由美子さんは昨年、癌のステージ4と宣告されました。その時に由美子さんは、これでようやくあきこちゃんのところに行けると思ったそうです。長い年月(としつき)が経っても由美子さんの心の中にはあきこさんがいました。そして夫のまことさんの心にもあきこさんはいました。
弱い私たちと同じになられた救い主が私たちを救ってくださる
愛は生と死を超えて「いのち」と「いのち」をつなぎます。あきこちゃんはお母さんを思い、精一杯の言葉を伝えました。それがあきこちゃんの使命だったと思います。ご両親は元気に育ったころのあきこちゃんと、大きな重荷を背負いつつも健気に生きたあきこちゃんのことを一生忘れないでしょう。あきこさんと両親は互いに相手の「いのち」を愛(いと)しんでいます。
イエス様は生まれた時に「飼い葉桶」に眠りました。それは弱いお姿です。何もできないイエス様、いまにも死んでしまうような劣悪な環境に横たわらざるを得なかったイエス様。しかしそのイエス様が世の人々を愛してくださいました。
私たちも「お言葉どおり、この身に成りますように。」と祈り、神の御心を求めて生きるならば、私たちが弱く力のない者であったとしても、神は私たちをご自分の御心を成すために用いてくださいます。そして最後には私たちを、神を賛美する者としてくださいます。