聖書 ヨハネによる福音書12章1~8節
イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。」(7節)
「香油を注ぐ」
今日は教会の暦ではイエス様がエルサレムに入城した記念日で棕櫚の主日です。イエス様がエルサレムに入ったときには大勢の人々が歓呼の声をあげてイエス様を歓迎しました。しかし僅か5日後にイエス様は十字架につけられて死なれました。この1週間は教会とキリスト者にとって悲しみの期間です。人の罪が最大になった時として、すべての人間の罪を告白して、神に赦しを願う期間です。
本日与えられたヨハネによる福音書12章1~8節はその前の週に起きた出来事が記されています。それはイエス様が食事をしているときにマリアというその家の女性が高価なナルドの香油、つまりフレグランスをイエス様の足に塗った出来事でした。この香油は300デナリオンの価値があったと書かれています。これは労働者一人の年収に匹敵するものです。イエス様の受難とこの出来事の関係を考え、そしてそれが私たちとどのような関係があるかを考えたいと思います。
イエス様はエルサレム近郊のベタニア村のマリアとマルタとラザロの兄弟姉妹の家に入りました。この日は過越祭の6日前でした。過越祭は現在のカレンダーでは金曜の日没後に始まり、土曜日の日没前に終わりますから、イエス様がラザロ兄弟姉妹の家に入られたのは土曜日の日没後から日曜日の日没前でした。少し先の12節にはその翌日にイエス様がエルサレム市内に入城したことが書かれていますから夕食の食卓は土曜日の夜だったと考えられます。マルタたちは土曜日の日没後、安息日が終わってすぐに食事の支度を始めたのです。
マリアとマルタの兄ラザロはイエス様と一緒に食事の席にいました。これは彼がお客をもてなすホストであったことを表しています。マルタは給仕をしていました。3節をご覧ください。マリアは食事の席に純粋で非常に高価なナルドの香油を持ってきました。ナルドの香油は今でも作られていて売られています。ナルドの香油をインターネットで検索しますと次のような説明がありました。
『ナルドは聖書にも登場するアロマです。北インド、ネパール、ヒマラヤあたりの高度3000~5000メートルの山地に自生する高山植物から抽出した天然の芳香成分です。ナルドは古代エジプトやギリシャ時代から使用されていました。アロマテラピーの基本的な素材として、リラクゼーションやストレス軽減、睡眠改善などの効果が期待されています。』
ここに教会員の方が貸してくださったナルドの香油があります。私は初めてこの香りを試しました。シャネルの5番などに代表される香水は甘い香りや爽やかな香りで人の心をうっとりさせますが、ナルドの香油はしっとりしていて、落ち着きや休息を与えてくれる香りがします。イエス様の時代には死後、埋葬の準備の時に遺体に塗ったと言われています。19章39節にはニコデモという議員がイエス様を埋葬するために没薬と沈香を混ぜた物を百リトラ用意していたことが書かれています。
マリアの行為は食事をしていた人たちを驚かしました。何も食事中にしなくても良いのにと思いますが、マリアのイエス様に対する尊敬の念の深さや兄ラザロを生き返らせてくださった感謝の気持ちが強くて食事が終わるのを待ちきれなかったのかもしれません。
聖書はマリアが「純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。」(3節)と記しています。マタイ福音書、マルコ福音書、ヨハネ福音書のどれも、マリヤがイエス・キリストに油をぬった時、マリアはその香油を惜しむどころか、きわめて多量にその香油を注いだことでは一致しています。ヨハネ福音書はマリアがイエス様の足に塗ったと記していますが、これはイエス様の全身に、足にまで塗ったということを表しています。というのもこの「足」という言葉には誇張的な意味があるからです。マリアが自分の髪でその足をぬぐったという表現も誇張を示しています。
この行為を見ていたイスカリオテのユダは「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」(5節)と言いました。イスカリオテのユダは12弟子の一人でありながら後にイエス様を最高法院に引き渡すのです。彼がしたことは彼自身の中で果たして裏切りであったのか、それは分かりません。しかし少なくともユダにはマリアの行為の意味は理解できていなかったことだけは確かです。労働者一人の年収に相当するお金を手に入れて貧しい人々に施すことは彼なりの正義であったわけです。ユダはきっとこう考えたことでしょう。『彼女は、無意味なことにこんなにも多額のお金を浪費した。その金を必要としているであろう貧しい人たちに対して、あやまちを犯していることになるのではないか。だから、彼女の行為は赦されない』。
6節をご覧ください。「彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人(ぬすびと)であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。」と書かれています。
盗人(ぬすびと)と訳されている言葉は他人のお金を横領する者という意味で、それが転じて「自分の儲けのために信用を悪用し人を導くことを心掛けない偽教師」という意味になりました。人々を惑わすという意味で泥棒や横領よりも危険な存在だと言えます。彼には彼なりの正義があったと思いますが、聖書はユダの偽教師としての言動を断罪しているのです。
ユダの言葉を耳にしてイエス様はその場にいた人たちに次のように言われました。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」(7、8節)
イエス様はマリアが香り高い香油を塗ったのはイエス様の埋葬の先取りであることをお示しになりました。香油が注がれたのは、時機にかなったことであり、この香油を体にぬることは、むしろ霊的な象徴として、よみがえりの希望を目の前に彷彿とさせるものだったのです。イエス様の埋葬の時は近づいていました。イエス様はやがて埋葬される人として油をぬられています。
弟子たちは、まだそのことを知りませんでした。もちろん、マリヤも同じです。彼女は霊の導きに促されて、尊敬と感謝とそして愛を伝えるために思いもしなかった行為におよんだのです。そしてイエス様は弟子たちを自分のよみがえりの希望へとさしむけ、その行為のうちにある有効性を示して、意地の悪いよこしまな判断から彼らを引き離そうとしたのです。
マリアの愛の行為は、理性的で合理的な貧しい人たちへの施しに比べて、大きな価値を持っていました。イエス様はよみがえられて、その霊によってわたしたちに顕在し、わたしたちのうちに宿り、イエス様の食卓に招いて恵みを与えてくださっています。イエス様は「貧しいひとたちはいつもわたしたちと一緒にいる」と言われます。貧しい人たちの困窮を軽くする施しは、神の前に快く香り高い奉仕です。
イエス様がマリアの香油注ぎを「わたしの葬りの日のため」と言われたことに心が動かされます。死は人間に必ず訪れます。死ななかった人は天に上げられたエリヤ以外にはいません。エリヤは神によってそのように用いられましたが、私たちは死ぬことから免れることはできません。
スイスの詩人であり牧師であるマルティは「聖書への注」という詩を書きました。死は私たちが選ぶことのできないものであることを、この牧師は次のように表現しました。
わたしは死ぬのではない、死なされるのである
君も死ぬのではない、死なされるのである
死ぬという言葉はわれわれを惑わす
われわれは自分で死ぬことなどはできない
それをなさったのはただおひとり
死ぬことは自分ではできない
死にたくないのに死を迎える
死からの自由ではない追い詰められた死でしかない
この詩の中に死を支配しておられるのは「ただおひとり」という言葉があります。それは主なる神です。私たちはそのことを知っています。わざわざ「死」を「詩」にすることもないだろうと思われるかもしれませんが、文字にしてみると人間のはかなさや弱さがはっきりと見えてきます。私たちはイエス様なしには死から自由ではいられないのです。
イエス様は死を易々と乗り越えたわけではありません。ゲッセマネでの血の汗が滴るほどの祈りは苦悩を表しています。十字架にあって父なる神はイエス様に何も答えませんでした。しかしマリアのナルドの香油注ぎをイエス様が受け入れたことに象徴されているように、イエス様は死を迎えることに自由でした。まだ逮捕される前で、死が具体的ではなかった時に、イエス様はマリアの埋葬の準備を受け入れたのです。
しかしユダは、そして多くの弟子たちはマリアの行為の意味も、イエス様の言葉の意味も理解できませんでした。ユダに至ってはイエス様の人間を救うという行為についてまったく理解できませんでした。しかし彼はイエス様の目的を達成するために重要な役割を担ったのです。彼はイエス様が十字架刑になることを知って悔やみましたが、イエス様の許に帰ることを選びませんでした。他の弟子たちもイエス様が捕まると逃げてしまいましたがパウロに代表されるようにイエス様の許に戻ってきました。
イエス様が十字架の苦しみを受けられたことは私たちを救うためでした。人は誰でもイエス様の許に帰ることによって救われます。イエス様が私たちの罪のために身代わりとなり神の赦しを得てくださいました。