4月18日受難日礼拝説教「わが神、なぜ私をお見捨てに」

聖書 マルコによる福音書15章33~35節

三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

「わが神、なぜ私をお見捨てに」

私たちは先ほど十字架の7つの言葉を聞きました。

1.「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」
2.「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」
3.「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」、「見なさい。あなたの母です。」
4.「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」
5.「渇く」
6.「成し遂げられた」
7.「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」

イエス様の十字架の苦しみを今日こそ身に染みて感じます。イエス様は朝の9時に十字架につけられてから午後3時に息を引き取る直前まで沈黙なさっていました。周りの人々は「十字架から降りて自分を救ってみろ」とか「他人は救ったのに自分は救えない」とか「メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい」といった嘲りの言葉をイエス様にかけていました。辺りは喧騒状態でした。しかしイエス様は沈黙なさっていました。

イエス様は周りの、ののしりやあざけりの声の中で、礼拝していたのです。父を礼拝し、父に問いかけていました。肉体的にも精神的にも苦しい中で礼拝していました。そして最後に「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という言葉を叫んで息を引き取られたのです。この言葉は詩編22編2節の言葉です。

イエス様は詩編22編を朗誦しようとして最初の節で力尽きたのだという解釈があります。詩編22編はたとえば4節に「だがあなたは聖所にいまし、イスラエルの賛美を受ける方」という賛美の言葉が書かれています。そのように神を賛美しようとしていたのだという解釈です。しかしもしそうならば4節を朗誦すればよかったはずです。

詩編22編2節の言葉を朗誦したのは、イエス様が父に捨てられたということなのです。神の御子イエス様が父なる神に捨てられるという深い絶望を経験されました。イエス様には誰も助ける人はいませんでした。

 

アンチエイジング(老化予防)の研究が成果を上げているようです。活性酸素が老化を促進するというのはその成果の一例です。最近ではAGE(Advanced Glycation Endproducts)という劣化したたんぱく質が体の中に溜まって老化を促進するということが分かって来たそうです。しかし永久に死なないということはありません。人は死ぬのです。

20世紀の旧約学者フォン・ラートは『旧約聖書における生と死についての信仰証言』という講演の中で「人は神との生ける関係から引き離された時に死ぬのです。」と説明しています。イエス様が父なる神に捨てられたというのは、この「死」を経験されたということなのです。イエス様は神の御子でありながら本当の人として、私たちが経験する死を知ったのです。私たちが感じるように、死の無慈悲さ、空虚さ、無などを感じられたのです。このお方だから神の身分でありながら私たちの苦しみを理解してくださいます。私たちには、まことの人として、私たちと変わらぬ人として神に捨てられるという経験をなさったイエス様がいてくださいます。私たちが死の影の谷を歩もうとも一人ではありません。