5月4日礼拝説教「さあ、来なさい」

聖書 ヨハネによる福音書21章1~14節

イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。(12節)

「さあ、来なさい」

きょうはイエス様が復活なさったことを覚える復活節第3週の礼拝です。第1週のイースターにはイエス様のお墓にイエス様の体が見つからず、天使から「あの方は復活なさったのだ」という言葉を聞きました。そして第2週にはエルサレムの都の中で隠れていた弟子たちのところにイエス様が来て「あなたがたに平和があるように」と弟子たちを祝福した言葉を聞き、復活の主がお働きになって「敵意という隔ての壁」を打ち壊してくださることを覚えることができました。きょうはペトロたちがガリラヤに戻ってティベリアス湖で漁をしていたときの出来事を耳にしました。

 

ヨハネによる福音書は20章の最後に「このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。」と書かれていることから、21章は付録や付け足しのようにも受け取られますが、教会の始めと解釈される出来事が記されていますから、福音書記者ヨハネはいったん書き上げた後にどうしてもこのこと付け加えなければならくなり書き足したのだと思われます。

弟子たちはエルサレムで復活のイエス様に出会ったにもかかわらず出身地のガリラヤ地方に引き下がりました。今、水曜日の聖書を読む会ではルカによる福音書を読み終えて、同じ著者が書いた使徒言行録を読み進めています。そこではエルサレムで復活の主が現れ、聖霊が降ったと記されています。ペトロたち7人のゲネサレト湖畔の出来事について不思議に思う方がいらっしゃるかもしれません。しかしながら、ルカによる福音書にも弟子がエマオ村というところに戻った記事がありますから、イエス様が復活して天に昇られた後、聖霊降臨までの間に弟子たちはエルサレムから出なかったということではないのだと思います。ティベリアス湖は私たちが良く知っている名で言えばガリラヤ湖です。エルサレムからここまで約120kmくらいの距離ですから聖霊降臨までに行けない距離ではありません。

 

復活のイエス様に出会った後に、なぜペトロたち7人はガリラヤに行ったのかと問わずにはおられません。ペトロたちは復活のイエス様に会った後も確信が持てずにいたのでしょうか。このことに関してある牧師は次のように言っています。「復活のイエス様にお会いしてはいますが、どうもこれから自分たちが何をしていいのかまだ良く分からない。落ち着かない。心苦しい。そう思っているときに漁にでも行こうかと考えることは、私たちにもよくあることです」。こんな言葉です。ペトロはエルサレム教会の初代指導者だと言われていますし、他の人々も一緒に教会を作ったことでしょう。

その7人がガリラヤ湖で夜中、漁をしましたが何も獲れませんでした。夜明け頃になって辺りが明るくなるとイエス様が岸に立っておられました。弟子たちはその人が復活のイエス様だとは分かりませんでした。イエス様は弟子たちに船の右側に網を打つように言われました。

弟子たちはその言葉に従いました。もし漁を始める頃に同じことを言われても弟子たちはその言葉に従うことはなかったでしょう。弟子たちはすでに無益な長い労働に疲れ果てていました。しかし,弟子たちはひと晩中、なんの収穫もなく無駄に働いた後なのに、夜が明けると早速、嫌がりもせずに仕事をつづけていることには、彼らの忍耐と我慢とがあったと思われます。

ここで思い出すのはルカによる福音書5章に似た出来事が記されていることです。そこではペトロが「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えています。ここでも弟子たちは無駄かもしれないけれどやってみようと考えたのではないかと思います。

イエス様はペトロたちに伝道者としての召命を新しくし、その訓練を再び始めておられるのです。そしてペトロたちは知らないうちにその訓練を受けていたのです。その結果が6節に書かれています。そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができませんでした。

ここには伝道のことが暗示されています。5節にイエス様が「子たちよ、何か食べる物があるか」と呼びかけています。この言葉は原文の意味に即して言いますと「子たちよ、あなたたちは何も食べる物を持っていないだろうね」と念を押しているような言葉です。これからの弟子たちの働きの困難さをすでに予感させる体験をさせておられるのです。これからする仕事は厳しい。一所懸命働いても何の収穫もないような空しい思いになる。もう疲れた。思うようにいかない。疲れだけが残っている。そんな思いの弟子たちに主は食べ物を用意してくださるのです。弟子たちは伝道の厳しさを教えられているし、またその中で主が養ってくださることを教えておられいます。

この7人の弟子を土台に教会の歴史が始まりました。そして教会は300年ほどの間、迫害を受けました。当時の教会の指導者たちは途方にくれるような伝道の戦いをしたことだと思います。それになぜ耐えることができたのか。それは復活のイエス様が会っていてくださったからです。養っていてくださったからです。

イエス様は弟子たちに言われました。12節です。「さあ、来なさい。そして朝の食事をしなさい」。この言葉は弟子たちを招く言葉であることは間違いありません。イエス様はパンを取って弟子たちに与えられ、魚も同じようにされました。これはマタイによる福音書14章やマルコによる福音書6章やルカによる福音書9章に記されている5千人に食べ物を与えた奇跡を思い起こさせます。

 

私たちは日常の生活において信仰を土台とした日々を送りたいと願いながら、しかしいろいろな困難に出遭います。それは外部からの困難であり、また自分の内側からの困難です。弟子たちに与えられた使命は福音を伝えることでした。キリスト者はその存在によって伝道していると言っても良いのではないかと思います。

まばたきの詩人と呼ばれた水野源三さんという人がいました。水野さんはまばたき以外に自分の思いを伝えることができなかった人ですが、キリストに出会ってその喜びをお母さんや妹さんと一緒になって詩にして伝えました。水野さんの詩に「今になって」というものがあります。

倒れながら十字架を
負い行く主に逢ったのに
日々の忙しさにまぎれ
すっかり忘れていました

今になって一人となる
静かな旅に思います
あの流されたみ血潮は
私をば救うためだと

死んで甦った主よ
明りを消したこの部屋で
今すぐに言ってください
あなたの罪はゆるされたと

私たちはペトロたちがガリラヤ湖で舟を漕いで漁をしたように、それぞれが自分自身の舟を漕がなければならないということは真実だと思います。健康であっても病気や高齢で体が動かせなくても、あるいは順調であっても嵐の中にいても、自分の人生を他人任せにすることはできません。

 

ペトロたちが湖で漁をして何の成果もあげられなかったときに、復活のイエス様は岸辺で彼らを見守り言葉をかけられました。そして彼らと食事をなさいました。イエス様は「さあ、来なさい」と言って私たちを御許に集めてくださいます。教会はそのようにして集められた人々の群れです。そしてここには神の国の先取りと言われる神の愛による豊かな交わりがあります。旧約聖書のエレミヤ書には主が新しい契約を与え、『人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない』(エレ31:34)と告げています。そのことが復活の主イエス様によって実現しました。キリスト者は復活の主を知っており、このお方が私たちを養っていてくださることを知っています。罪赦されて主と共にあれば、自分の舟を漕ぐことが楽しくなり心は喜びで満たされます。