8月24日礼拝説教「あなたの病は治った」

聖書 ヘブライ人への手紙12章25~29節、ルカによる福音書13章10~17節

「実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です。」(ヘブル12:29)

「この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」(ルカ13:16)

「あなたの病は治った」

「神の言葉は実現します」。このような言葉を聞くとキリスト者でない方は胡散臭く感じることでしょう。神は利益や災いをもたらす理解不可能な恐ろしい存在であり、その神が出す気まぐれな言葉をイメージするからではないでしょうか。あるいは神は言葉を発することなどないと反発するかもしれません。

先の言葉をもう少し丁寧に語るならば「聖書に記されている神の言葉は実現します」となります。信じる根拠は聖書に記されている歴史にあります。この歴史をひも解けば神が言葉を以て人間を導いてきたことを知ることができるからです。「聖書に記されている神の言葉は実現します」というのであれば、キリスト者とそうではない方との間で会話が成り立つと思います。この言葉に反発するにしても共感するにしても、いずれにしろ関心を示す人とは聖書を根拠に話をすることができます。

先ほど私たちが聞いたヘブライ人への手紙12章25節「あなたがたは、語っている方を拒むことのないように気をつけなさい」と勧めます。「地上で神の御旨を告げる人」とはモーセのことです。モーセはエジプトで奴隷となっていたヘブライの人々を解放しましたが、モーセの言葉に逆らって40年間荒れ野をさまよわなければなりませんでした。このことは旧約聖書の民数記に詳しく書かれています。一方、「天から御旨を告げる方」は復活して天に上り、天の聖所におられる復活のイエス様です。人間であるモーセが告げる神の言葉を拒んだことで裁きを受けたのですから、ましてや天から語るイエス様の言葉に背を向けるならどのような裁きが待っているでしょうか。「なおさら罰を免れません」。

神は昔はモーセに代表される預言者を通して語り、今は復活の主イエス様によって天からご自分の民に向かって語っておられます。すべての人に語っておられます。いつの時代もその語りかけをどのように聞くかが私たちに問われています。礼拝では聖書が読まれ説教が語られます。語られる言葉は、実は、復活の主イエス様が天から語りかけてくださる言葉なのです。いまここに集って礼拝している私たちは神の言葉を一緒に聞く礼拝共同体です。

26節「あのときは、その御声が地を揺り動かしました」には出エジプトの記憶があります。出エジプトの出来事には多くの奇跡がありました。中でも海が割れるという奇跡は地上が揺り動かされた出来事として記憶され続けてきました。そして天上のイエス様は「わたしはもう一度、地だけではなく天をも揺り動かそう。」と言われます。これはイエス様が再びこの世界に来られる再臨を示しています。再臨の時には地が震えるだけではなく天も揺れ動くのです。

27節に主の再臨の時に「揺り動かされるものが、造られたものとして取り除かれる」と書かれています。キリスト者は今、終末を待ちつつ、消え去るものは何か、永遠に残るものは何かと問い続けています。初代教会の信仰者はみな、この信仰的な目を持っていました。そして平安のうちにいました。主に従うならば28節にある通り、キリスト者は揺り動かされることのない御国を受けているのです。このことに気づくことは大切なことです。11章1節の「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」の言葉のようにキリスト者には見えるものだけでなく見えないものを信仰を通して知ることが許されていることを思い出し、感謝します。この感謝から礼拝の生活が始まります。感謝の念をもって、畏れ敬いながら神を礼拝し神に仕えるのです。

「実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です」(29節)。揺り動かされるもので残されるものは何もありません。主が再臨されたとき、この火によって私たちは私たちの中の罪を焼き尽くしていただき、まことの人としてよみがえるのです。

 

イエス様は地上を歩かれたときに18年間も病の霊に取りつかれている女性を癒しました。これはルカによる福音書13章10節からに書かれています。この女性は高齢になったから腰が曲がったのではなく、若い時から腰が曲がっていました。「病の霊」とは「人を無力に保つ霊」です。イエス様はその女性を呼び寄せて「婦人よ、病気は治った」と言われました。この言葉は「婦人よ、あなたは無力の霊から解放された」と言い換えることができます。無力の霊というのは力をなくさせる霊で、この悪霊が女性を束縛していたのです。そしてイエス様が女性の上に手を置かれると、女性は腰が真っすぐになり、神を賛美しました。イエス様の神の言葉が女性を癒しました。

この後、14節から17節ではイエス様がこの癒しを行ったのが安息日であったことから安息日に労働してはいけないという安息日の規定についての論争が記されています。会堂長が杓子定規に安息日には癒してはならないとイエス様を攻撃すると、イエス様は「あなたたちは安息日にも例外を設けているではないか」と言い、女性を癒すことはその例外よりも大事であると諭しました。

 

今は医学が発達して多くの病気が治るようになってきました。それは素晴らしいことです。痛みが取り除かれて日常生活に支障がないようになれば快適な生活を送ることができます。病巣が取り除かれて人間の回復力により前の生活に近い生活が送れるようになります。

そのために医師は薬を処方し、注射をし、手術をします。しかし薬や注射や手術が病気を治してくれるのではなく、我々の身体に授けられた「自然治癒力」で病気が治るのであり、薬や手術は自然治癒力を引き出すよう手助けしているのです。このように病気の回復には自然治癒力が最も大切であり、今日の免疫療法は人間の自然治癒力を向上させて病気を治療する方法だと言えます。それでも人間の出来ることには限界があります。医者の聖人とされるヒポクラテス「医者は傷を縫い、神がこれを癒してくださる」と言ったそうです。医者にしても最後は神に委ねるしかありません。病を癒すのは神であります。

私たちの自然治癒力は、私たちを造り、この世界を支配しておられる神が与えてくださったものです。人体は小宇宙と言われるほどに複雑で各部分が関連しています。その全体をご存知の神が病を癒すまことの力を持っておられます。

神が言葉によってこの世界をお造りになられたことは聖書に証されています。創世記1章3節には「神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。」と記されています。神が言葉を発すると、それは出来事になります。預言者イザヤの書の55章10節、11節には「雨も雪も、ひとたび天から降れば/むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ/種蒔く人には種を与え/食べる人には糧を与える。そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も/むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ/わたしが与えた使命を必ず果たす。」という神の言葉が書かれています。キリスト者は聖書を通して神の言葉は実現することを学んでおり、知っています。このことを確信すれば、病を癒していただくのに神に祈ることが大切であることが分かります。医療従事者に力を与えてくださり、病気の人の自然治癒力を高めてくださるのは神です。神が祈りを聞き届けてくださり、言葉を発すれば、それは出来事となるのです。

 

神が必要とされれば病もいやされます。私たちはこのことを確信し、そして復活の主イエス様は天上で私たちの祈りを執り成してくださっていることを信じ、神が病をいやす言葉を発してくださることを祈り願いたいと思います。