聖書 マタイによる福音書16章13~28節
イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」(マタイ16:23)
「人が失敗する時」
私たちには、すぐ追い越そうとする性質があります。ペトロなどは典型的ですよね。気がつくとイエス様を追い越している。「お前、またそこにいるのか。何度言えばわかるんだ」と、何度言われたことかと私は想像しますよ。「お前は、また私の後ろに退きなさい」。今日の私みたいにイエス様は声を枯らして言ったんじゃないですか。「またお前、私を追い越してる。そうじゃなくて私の後ろに引き下がれ」と言ってるんですよ、この時も。
「何でそれが分からないんだね。」人は足を踏み外すんですよ。だからこれはイエス様の愛情の言葉です。イエス様はペトロを愛してるんです。「さっきは『あなたはペトロ、私はあなたの上に教会を建てる』、って言ったけど、『でももうそれはなし』」って言ってるんじゃないんです。そのあなたは「私に従っていきなさい。私の後ろに引き下がれ」。そう、イエス様がここで言ってるんですよ。
そしてそれだけでなく、かつてイエス様が漁師だったペトロを弟子にする時です。これはマタイ4章19節なんですが、荒野の誘惑の直後に弟子たちが選ばれるでしょう。その時に、「私について来なさい。あなたを人間をとる漁師にしよう」とペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネに言ったじゃないですか、イエス様。で、この「私について来なさい」っていう言葉の中にも、さっき言いました「私の後ろに」っていう言葉、「オピショー」がついてます。「私のあとから」っていうことなんです、「ついて来なさい」。それが直訳なんです。
でもどうなんでしょうね、日本語として「私のあとから」といちいち言うのはすっきりしないなって、聖書を翻訳された方々は思ったのでしょうか。でも、ぜひ皆さん覚えておいてください。イエス様はそうおっしゃったんです、弟子たちをお招きした時に「私のあとからついて来なさい」と。
つまり、「私の後ろに引き下がりなさい」。そこがあなたの場所だっていうだけでなく、そこから「私について来なさい」っていう招きがあるんです。ね、この「サタン、引き下がれ」っていうのは、誠に厳しい言葉です。だいたいサタンと言われること自体が厳しいです。でもイエス様は決して、ペトロを退けたのではないんです。「自分の後ろからちゃんとついて来なさい、従いなさい。私はいつもそれを確かめているよ。振り返りながら、ちゃんとついて来てるか見てるよ」。そう言ってるんですよ、イエス様って。いつもそうです。そして、ペトロや他の弟子たちだけじゃないですよ。私たちにもそう言ってるんです。
私たちも、このペトロのように、イエス様から荒々しい叱責、ね、ゲンコツでコツンと殴られるような思いをしたことがあるかもしれません。もしかしたらね。そういう時に、へそを曲げてはいけない。その厳しさの中にイエス様の愛情があるんだ。そういうことをぜひ思い出していただきたいと思います。
そしてですね、本当に原点に戻って、「私の後ろからしっかりとついて来なさい」という招きがある。そのことをぜひ皆さん覚えておいていただきたいなというふうに思います。イエス様はペトロを叱った後にですね、弟子たち全員に向かって「私に従ってきなさい」。この有名な言葉を語られたんですね。えー、ちょっと見てみましょう。24節以下のところ。
それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。
この、今の言葉について一つだけ最後に述べておきたいと思います。それは、「人はたとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら何の得があろうか。自分の命を買い戻すのにどんな代価を支払えようか」。そういうお言葉ですよね、これ。分かりやすいと思います。
全世界と、一人の人間の命というもの。イエス様はここで天秤にかけてお話しになっておられるようですよ。そして私たちはすぐに「全世界のほうが大切なんではないかな」と思ってしまいがちなんですが、決してそうじゃないですよ。イエス様がおっしゃってるのは、一人の人間の命っていうのは、全世界をもってしても贖う(あがなう)ことができない、本当に重たいものなのだ。そうおっしゃってるんですよ。
それなのに、この時代はあまりにも命を軽視しています。先ほどの詩編23編の祈りの中にもありましたね。本当に神様がご自分に似せて作られた、私たち一人ひとりの命、それがどんなに疎んじられていることか。そのことを私たちは思います。命よりも大切なものがあって当たり前と言わんばかりの、為政者たちですよね。そして、それがまた当然と思えるような人をどんどん、どんどん作っていって。
でもいいですか、2000年前に「そうじゃない」って言ってるんです、イエス様は。「それは違う」って言ってるんです。そしてご自分の大切な命を差し出してくださったんですよ。私はこれは本当に大きな神様の御心ではないかな、そういうふうに思います。
もちろん私たちの身の回りの近いところでもそうですよ。親に叱られた、「もういい、死んでやる」。「親を殺してやる」。あるいは、よくそういう報道がなされますね。「誰でもいいから殺したかった」。本当に悲しいことだと思います、それは。私たちは、こういう社会の中で、ため息をつきながら生きるのではなく、本当にイエス様ならどう生きられているのか、どう命じられているのか。イエス様は過去の人じゃないですからね。今もこの世をご覧になっているんですよ。そして、私たちに命じておられるんです。この礼拝を通して。ペトロに言われたこと、それを私たちに言ってくださっている。そのことをぜひしっかりと心に留めて、イエス様ご自身を伝えていく者、そのためにまず私たち自身がイエス様を受け入れて、イエス様にしっかり見つめられている日常の生活なんだっていうこと。このことを覚えておきたいものだなと思います。