カテゴリー: 過去の説教

「招かれながら離れてゆく人」(2018年1月14日礼拝説教)

出エジプト記16:1~3 ヨハネによる福音書6:60~71  ヨハネによる福音書に3ヵ月ぶりに戻って参りました。  今日は長い6章の最後の部分ですので、思い出すためにも6章を概観してみますと、五つのパンと二匹の魚の奇跡か

「ひとつの星」(2018年1月7日礼拝説教)

民数記24:17 マタイによる福音書2:1~12  教会は昨日1月6日までがクリスマスでした。  1月6日は東方の三人の博士が、幼子イエス様のもとに、星に導かれて訪れ、黄金、乳香、没薬を献げた日、本日の御言葉の事柄が起こ

「命の水の川」(2017年12月31日礼拝説教)

イザヤ書49:7~13 ヨハネの黙示録21:22~22:5 2017年、最後の一日となりました。 皆様はこの一年をどのように振り返られますでしょうか。  この年、私たちの教会では3名の兄弟姉妹を御許に送りました。ご家族、

「低きに下られた神」(2017年12月24日クリスマス礼拝説教)

ミカ書5:1~4a ルカによる福音書1:46~56  クリスマス、おめでとうございます。 四本目の蝋燭が灯り、さらに中央の大きな白い蝋燭にも灯がともされました。  四本目の蝋燭は少し明るいピンクです。主を待ち望み、自らを

「神の忍耐」(2017年12月17日礼拝説教)

イザヤ書40:1~11 ペトロの手紙二 3:8~14 「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです」  ペトロの手紙二3:8の御言葉です。  神の時間とはどういうものなのだろう?時々私は考えます。そして、この

「救いの希望を兜として」(2017年12月3日礼拝説教)

イザヤ書51:4~11 テサロニケの信徒への手紙一5:1~11    待降節第一主日。アドベントクランツに一本のともし火が灯され、世の光なるイエス・キリストのご降誕を待ち望む時がやって参りました。  クリスマス―すべてを

「正しく裁かれる主に委ねる」(2017年11月26日礼拝説教)

 教会の暦では、この聖日が一年の終わりの聖日となります。次週からは、教会では新しい年。主のご降誕、救い主が来られることを待ち望みつつ備える待降節がはじまります。  この主日は、終末主日とも呼ばれ、特に「終わりの日」つまり

「わたしは主である」(2017年11月19日礼拝説教)

出エジプト記6:2~13 ヘブライ人への手紙11:23~29       私はよく心の中で「イエス様」と、主の名前を呼びます。親しみを込めてただ呼ぶこともありますし、「助けてください」と心で叫ぶ時にも、イエス様のお名前を

「人間のはじまり」(2017年10月29日礼拝説教)

 創世記2:4b~9 15~25 ヨハネの黙示録 4:1~11  明後日は、ルターの宗教改革から500年を数える記念日です。1517年10月31日、当時カトリック教会の司祭であったマルチン・ルターがヴィッテンベルグ城の門

「天上の礼拝」(2017年10月22日礼拝説教)

イザヤ書 33:17~22 ヨハネの黙示録 7:1~17 「わたしたちの本国は天にあります」  これは、フィリピの信徒への手紙3:20のパウロの言葉です。  本国、私たちのまことの国籍は、地上の国ではなく天にある、これは

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