「救い主は飼い葉桶の中に」(2020年12月20日クリスマス礼拝)

ミカ書5:1~3
ルカによる福音書2:1~20

 クリスマス、おめでとうございます。
 今日は待降節第4主日であり、尚且つクリスマス礼拝。アドヴェント待降節の中にあって、尚且つイエス・キリストのご降誕を祝う主日ですので、四本のアドヴェントキャンドルと共に、中央に白いイエス・キリストを表す白い蝋燭にも灯がともされました。皆様と共に、主のご降誕を喜び、神を賛美出来ますことを心から嬉しく感謝いたします。
 クリスマスは、私にとって子どもの頃から一年に一度の夢のような喜びの時間でした。その温かな記憶が、大人になったある時、教会に足を向けさせたひとつのきっかけになっていることは間違いありません。
 私の家は昭和の所謂一般家庭で、普段はおもちゃなど殆ど買ってもらうことなどなかったのですが、クリスマスだけは特別で、母が毎年大きなモミの木を買って来て、それに綿などで飾り付けをしてくれて、特別なクリスマスの食事を楽しんだ後は、姉妹で歌ったり踊ったりして、アイスクリームケーキを食べる、年に一度の輝かしい日でした。そして、枕の上を開けて靴下を置いて眠り、目が覚めると靴下に入りきらない、たくさんの綺麗な包み紙のプレゼントが置いてありました。夜明けにひとつずつわくわくしながら包みを開ける喜び。今思い出しても、トナカイの鈴の音が聞こえてくるような静かな、光に満ちた思い出です。
 イエス様は、主なる神様が私たちにくださった光溢れるプレゼント―子どもの頃のクリスマスを思い出す時、両親への感謝と共に、神様の恵みを覚えます。

 御子イエス様の誕生に先駆けてどのようなことがあったのか。この待降節、旧約聖書の預言者たちの言葉を中心にお話しして参りましたので、触れて来なかったのですが、イエス様のお誕生については、4つの福音書の中で、マタイ、ルカがその出来事を伝えていますが、それらを読む時、イエス様の誕生に纏わるすべての事柄は、ご降誕に関わる選ばれた人たちすべてにとって「恐れ」と混乱を抱かせる出来事がありました。
 母マリアは結婚をしないままにお腹にイエス様を宿しましたが、このことは律法の掟によれば「死」の危険にさらされる、石打ちの刑によって殺される恐れが実際に起こり得る出来事でした。父となるヨセフにとっては、自分の身に覚えのないところで、愛する婚約者であるマリアがお腹に子を宿したのです。どれほどの混乱と苦脳があったことでしょうか。
 それらの恐れに対して神からの使い、天使の言葉は一言「恐れるな」でした。
 神は人間の常識など遥かに超えたお方ですので、神の出来事が起こる時、想像を超えた出来事が起こる場合があり、それは人間に恐れを抱かせますが、恐れの中で神を見上げ、神の言葉に信頼し、自らを委ねるならば、そこにはまばゆくも温かい光があり、それまで混沌とした闇の中を歩いていたような自分自身は砕かれて、恐れは信仰に変えられ、神共にある、新しい命の道、御心に適ったが拓かれるのです。
 そのように救い主ご降誕の出来事は、驚くべき出来事に出会い、神の業のために用いられるひとりひとりの苦脳を超えて、神に自らを明け渡した人たちの信仰によって成し遂げられた出来事でした。救い主を与えられるために、神が人に求められたことのひとつは、恐れに代えた「信仰」だったのです。

生まれたばかりの救い主イエス様は、「飼い葉桶」に寝かされました。
「飼い葉桶」、私は長い間、飼い葉桶は木で作られた餌箱で、その上には藁が厚く敷かれていて…とそのような貧しいながらも柔らかなイメージを持っていたのですが、イスラエルに行った時、私のイメージの中にあった木で造られた馬小屋と木の飼い葉桶の光景というのは、後の時代のカトリック教会が育んだ、ヨーロッパの文化の中で形づくられていった姿であったのだということを知りました。
ベツレヘムにイエス様の「生誕教会」と言われる教会群がありますが、全体が石のイメージです。イエス様がお生まれになられたと言われている場所も大理石のような石の上。いくつかの教派の教会があり、カトリック教会に着いた時、木の馬小屋、木の飼い葉桶のモチーフがあり、周囲と比べて違和感を感じるほどでした。
当時のパレスチナの飼い葉桶とは、石で出来た家畜用のえさ箱です。そしてイエス様のお生まれになった「馬小屋」というのも岩の洞穴のようなところであったと思われます。暗く、馬の糞尿の臭いにまみれた場所。そのような場所に、救い主はお生まれになられました。
 加えて申せば、お墓も石で出来たものでした。イエス様の墓と言われるところは、岩肌をくり抜いたものであり、その中に石造りの人が横になれるような大きさの区切りがありました。死んだ人は布に包まれ、そこに寝かされたと言います。墓場は石のベッドなのです。
 そして貧しい家庭で生まれた赤ん坊が石造りの飼い葉桶に寝かされるということは、ごく普通のこととしてなされていたのだそうです。その時代の貧しい人々の間で生まれた子どもたちの出生後の死亡率は非常に高かったそうで、生まれた子らは、伝染病、飢えなど、さまざまな困難にさらされ、その半数近くが生まれて間もなく死んでいったと言います。石で出来た飼い葉桶。それは赤ん坊が生まれて育まれる場所であり、また赤ん坊が死ぬ場所でもあったのです。赤ん坊が死んでしまった飼い葉桶は、そのままその子の墓となり、墓場へ持っていかれたと言います。 
 そのようにお生まれになった救い主イエス様が寝かされた飼い葉桶というのは、誕生の喜びと死の悲しみの両方を意味する場所でありました。救い主は、まさに死と隣り合わせの場所に、誕生されたのです。現代も世界中で飢えや寒さに凍える人々、そのような環境に生まれた子どもたちがいることを私たちは知っています。その只中に、神は人として来られたのです。それは、神が貧しさの故に生きる苦労を負っている人たちのただ中に「わたしはある」と宣言されていることのしるしにちがいありません。

 世界の暦はイエス様のお誕生を境にして、紀元前と紀元後が分けられていますので、この時は西暦1年。今から2020年前となりますが、当時のローマ帝国は、共和制から帝政に既に変わっている時代。皇帝アウグストゥスという、当時「神」とまで言われ、その権力による支配「パックスロマーナ」(ローマの平和)と言われる時代を築き上げた最初の皇帝の治世でした。 
 その頃、アウグストゥスによりローマ全領土の住民に登録をせよとの命令が出たのです。なぜ登録をしなければならないのか、それはローマ帝国が、国内の全住民を把握し、誰ひとり残さず税金を取り立てるためでした。

 そんな社会状況の中、マリアは聖霊によってお腹に子を宿すことになります。マリアと婚約をしていたヨセフは、自分の身に覚えのない出来事が起こり、悲しみ恐れ混乱しますが、マリアの身の上に起こった出来事を神の出来事と信じて、マリアと共に、自分の先祖の故郷であるダビデの町、ユダのベツレヘムに、住んでいたナザレの村から、住民登録のために出かけるのです。自分の戸籍に登録をするのですから、正式な結婚の決断にも重なります。
ガリラヤのナザレの村とベツレヘムの距離は160キロ程度。その標高差はおよそ800メートル。身重のマリアにとっては、余りにも危険な、苦しい道のりでしたが、それでも彼らは行かなければならなかったのではないでしょうか。
 それは結婚をしないままお腹が大きくなってきているマリアに対し、ナザレの村里の人々は、好奇の目を向けていたに違いなく、さまざまな噂が飛び交い、ヨセフのことは結婚をしないまま、マリアを身籠らせた男と人々は思い、好奇の目と共に、律法に背いた罪人としてふたりを断罪しようとする空気がナザレにあったのではないでしょうか。マリアとヨセフ、お腹に宿るイエス様は、人々の好奇と嘲りの中、ナザレにあって死の危険にさらされていたのではないでしょうか。
そんな中、住民登録は、世の権力者の横暴が起こした出来事ではありますが、ヨセフとマリアにとっては、ナザレを離れるチャンスだったのかも知れません。帰ってきた時には誰にも文句を言わせない正式な夫婦であることが証明されます。世のことを用いても、主なる神はマリア、ヨセフ、お腹のイエス様の命を守る道を備えられたのではないでしょうか。神はすべてのことを通して御心を成し遂げられるお方です。

危険を犯しながらヨセフがマリアを妻として迎え入れることは信仰の決断であり、ヨセフのマリアに対する愛の決断であったと言えましょう。イエス様は、聖霊によってマリアの胎に宿ったお方でしたが、まことの神であり、まことの人であるイエス様は、愛し合う信仰深い人々を父母としてお生まれになったのです。イエス様は人間の苦脳を超えた信仰と愛のあるところにお生まれになられました。

 そして住民登録をするために辿りついたベツレヘムで、「マリアは月が満ちて子を産み」ました。
 住民登録のために人々が移動する中、安心して泊まることの出来る宿屋は見当たらない。
そして、月が満ちたマリアとヨセフは、困り果てながら、人の居ない馬小屋に必死の思いで入ったのではないでしょうか。馬の糞尿の臭いの立ち込める、不衛生な暗い石造りの馬小屋。
救い主イエス様はそのような場所でひっそりとお生まれになられました。まさに闇に輝く一筋の光のように。そして、世の悲惨な死と生の隣り合わせにあるような飼い葉桶に寝かされたのです。
 主イエス・キリストは世にあってまったく歓迎をされず、居場所なく、暗い洞窟のような馬小屋の片隅、まさに暗闇のなかで、産声を上げられたのです。
 
 その知らせは野宿をしながら羊の群の番をする羊飼いたちに告げ知らせられました。
 羊飼いとは、当時のユダヤの最下層と言われる家も財産も家族も居ない人々でした。ユダヤ人の安息日も、羊の番をしないわけにはいかないため守り得ない。律法を守り得ない生活を強いられるがゆえに、ユダヤ人から見れば罪人、汚れていると呼ばれる人びとでした。貧しすぎる人びとのため、ローマ皇帝からは税金の取り立ての対象ともならない、戸籍にも入れられないような打ち捨てられた人々でもありました。

 その羊飼いたちに、天使が顕れ「あなたがたのために救い主がお生まれになった」「あなたがたのために」と告げたのです。
 暗く汚れた馬小屋の中で産声をあげた救い主は、あなたがた、家も家族も持たない、罪人、汚れた者と呼ばれる当時の最下層の羊飼いのために「生まれた」と天使は告げたのです。

 様々な人間の苦悩、また生々しいほどの人間の生きる現実のただ中に、神のひとり子は世に来られました。混乱の世の出来事の中にあって、母マリアと、イエス様の父となったヨセフの苦脳と誠実で愛に満ちた信仰、ふたりの恐れを信仰に変えた愛のなか、救い主は世に来られました。
信仰と愛のあるところに、神は低く低く下られ、その救いの知らせは世の最下層の貧しい羊飼いに真っ先に告げ知らせられたのです。世の片隅、誰も目にもくれないような悲しみの場所に主の目は注がれており、まさにそこに、神の光は顕されたのです。

 今年は世界中が、新型コロナウィルスという見えない脅威に襲われて、まさに「身動きが取れない」闇に閉ざされたような一年となりました。「新しい生活様式」と言われるものを提示されて、私たちは混乱しながらそれを受け入れ、恐れと共にあった一年であったこと、そしてそれが今も先が見えないように続いていることを覚えています。今、病苦に苦しむ人々がおられ、家族の病に苦しみ悩み、経済的な困難を覚えておられる方々もあまりにも多くおられます。医療関係者の方々の労苦は余りあります。
 その方々の上に、今一番苦労しておられる方々の上に、主の目が、憐れみと慈しみと愛が注がれていることを覚え、また更に祈りたいと思います。
 そして現代社会はあまりにも暗く、帝政ローマの行った、権力者が国土に住む人々の管理を行おうとする闇のような力が暗躍し、コロナ禍にあって貧しい人々は打ち捨てられ、目先のそれも一部の人の経済活動だけを支えるための政治が行われています。神の望みとは全く反対の事柄が次々に起こる世です。人間は変わらない。この世は、闇に包まれていると思えます。
 しかし、私たちの生きるこの世は、既に主の救いの十字架が立てられている世でもあります。私たちには、世にありながら主の十字架の御許という逃れの場が、世にありながら神共に生きるところが与えられています。この逃れ場にすべての人が招かれ、新しい主と共にある命を見出されることを祈ってやみません。

 救い主は私たちの現実の中に来られました。この世の貧しい悲しみのなかにある人々の只中に。世の支配者たちの思惑とは全く別のところに、貧しい小さな人間として。神の支配は大胆に、天を打ち破り、この世に降られました。
このお方の到来は、「民全体に与えられる大きな喜び」です。まことの平和の主。インマヌエル、神共におられるお方。
神は、今私たちが受けている苦難を超えて、新しい主の創造の御業を、苦難を通して現そうとしておられます。主の光を私たちのただ中にお迎えし、主を見上げ、恐れを信仰と愛に変えて、主と共に歩ませていただきましょう。主は私たちと共におられます。