「十字架の上で」(2017年4月9日礼拝説教)

「 十字架の上で 」
哀歌5:15~22
マタイによる福音書27:32~56

 受難週に入りました。今日は棕櫚の主日と言われる聖日であり、イエス様がエルサレムに入場されたことを覚え、また主の十字架への道程を辿る礼拝です。今週の金曜日が受難日であり、今のこの時は、この2週前まで、読み続けていたルカによる福音書の出来事、イエス様がエルサレムに入場されて、人々に最後の教えをなされていた時であることを思います。主は一歩一歩、十字架への道を歩んでおられます。
 そして、今日お読みした箇所は、イエス様が、まさに十字架に架けられ、死を迎えられた、その時のことが語られております。

 エルサレムには、ヴィアドローサ=悲しみの道と呼ばれる、イエス様が十字架を担い歩かれたと言われている道があります。狭い道で、今は道の両脇に、パレスチナの人々の商店が立ち並んでいます。2000年の間に、土地は積み上げられ、イエス様の時代のイエス様が歩まれた道というのは、現在はほぼ残されておりませんが、だいたいこの場所のあたりであったろうと言われるところに、十字架への出来事を記念しつつ、14のステーションと名づけられた場所がありました。その第5のステーションは、イエス様が、十字架を担いでいた手が力尽きて、手をついて、イエス様の代わりにキレネ人のシモンが代わって十字架を担いだと言われている場所で、そこには岩の窪みに、イエス様が手をつかれたといわれている跡がありました。
 このシモンという人について、マルコ、ルカの記述を見ますと「田舎から出てきてたまたまそこを通りかかったキレネ人シモンを捕まえて担がせた、無理やり担がせた」という、何とも言えない記述があります。普通、十字架刑となる人の十字架を他の人が担ぐということはなかったそうなのですが、この時のイエス様は、前の夜から、鞭打たれ、体中の皮が鞭打ちで剥がされ、血を流し、痛みと共に心身ともに衰弱しきっておられ、もう、それ以上、十字架を担ぐことが無理に見えるほど、無残なお姿だったからでしょう。
十字架とは呪われた木です。それを担ごうとする人など居ない。そこを、たまたま田舎から出て来て、何も知らないままそこを通っていた、見るからに純朴な男をイエス様が苦しまれるのを嘲笑う人々は捕まえて、イエス様の代わりに十字架を無理やり担がせたのです。
 伝承によれば、このシモンは後にキリストを信じる人になったと言われています。イエス様は、マタイ16章24節で「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と言われました。このシモンという人は、自分の意思で十字架を担いだ訳ではありませんが、十字架を担いで、イエス様に従った、最初の人となりました。シモンは、無理やりであれ、嫌々であれ、とにかくイエス様の十字架への道のりの助けをいたしました。
 これは私たち信仰者にとっても、とても象徴的な出来事であると思います。
 神の恵みは、私たちの意志如何によらず、突然顕されることがあります。それも、私たちにとっては苦い、苦渋に満ちた経験を通して、神に従う道が、また神ご自身が、私たちに明らかにされることがあります。

 今日お読みした箇所は、長く、またイエス様が十字架に向かわれる中、イエス様を中心としたその周囲で起こっているさまざまな出来事が語られています。しかし、ここで語られていることは、イエス様の体がどれだけ痛み、苦しんでおられるか、という視点では語られておりません。そこで起こった出来事と、周囲の状況が、ほぼ淡々と語られていきます。シモンという人が、イエス様の代わりに十字架を担ったこと、そしてゴルゴタに着いたこと。イエス様に苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたけれど、イエス様はなめただけで、それを飲もうとはされなかったこと。この酸いぶどう酒というのは、十字架刑を受ける人の、断末魔の苦しみをわずかでも和らげるためのお酒であったと言います。イエス様はそれを拒絶され、自らの体が苦しまれるままに任せられました。
 イエス様が十字架に架けられたことを、「彼らはイエスを十字架につけると」とのみ記し、釘打たれるイエス様が苦しまれたという描写はなく、くじを引いて、イエス様の服を分け合ったことを語ります。
 苦しむイエス様をこの記述を書いた人は見ていたことでしょう。しかし、イエス様の苦しむ様ではなく、イエス様の十字架と死への道を通しての、周囲の状況を注視し、書き残しています。それはどういう視点であったと言えるでしょうか。何が今起こっているのか、何がこれから起こってゆくのか、それを見、書き残した人には、悲しみに暮れつつイエス様ご自身に感情移入する間もなく、周囲の嘲笑と憎悪、悪の支配のただ中で、すべてが映像のように目の前を行き交い、自分がどこに今置かれているのか、現実感覚が無くなり、すべてが客観的に、映像のように見えていた、そのような状態だったのではないか、そのような中で、見たことを書き残したのではないかと想像いたします。人間の悪意が、主の十字架を見た人には、何よりも目に映ったに違いありません。

「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りてこい」「他人を救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ」
 この嘲笑とも怒号とも言える声は、多くの群衆の声であり、祭司長や律法学者たちの声でした。
 でも、この声は、もしかしたら、私たち自身の心の声と重なり合うとも言えないでしょうか?私たちは、イエス様が神の子であるならば、どうして十字架から降りて来なかったのかと、一瞬でも考えたことは無いでしょうか?
私自身は、多分、考えたことがある。「神の子ならば、何でも出来るはず。どうして自分で自分を救えなかったのだろう?力が無かったんだろうか?降りて来られた方が良かったのに」と。しかし、それを思った私は、この時の群衆や、律法学者、ファリサイ派の人々と同じだったのではないかと思うのです。
 イエス様の宣教のはじめ、荒野で、悪魔からの試みに遭われました。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちはあなたを支える』と書いてある」(マタイ4:6)と悪魔はイエス様にささやきました。世に於いて、人が驚かせ、不思議なことをすることで、人を平伏させるようなことが神の御業である、そのような発想と言えましょう。
 イエス様が十字架から降りて来られたなら、どうだったでしょう?その場は驚きと拍手喝采で、イエス様は結局この世の王となっておられたかもしれません。しかし、イエス様がこの世の王となることが、人間の救いに繋がることではありません。
悪魔は世のすべての国々とその繁栄ぶりをイエス様に見せ、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言ったのです。イエス様の答えは、「退け、サタン、『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある」とお答えになられ、悪魔の世への誘惑を退け、主は宣教のご生涯に入られました。
 この十字架への道行で、「神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りてこい」と言った人々の声は、悪魔の声。この時人々は、まさに悪魔の支配の中に居たのです。そして、もし、私たちが、同様のことを「神の子なら、自分をどうして救わなかったのか」と思うならば、それは神から、主の十字架を通してのまことの救いから、私たちを引き離そうとする悪の力なのではないでしょうか。

 マルコ福音書によれば、イエス様は朝九時に十字架に架けられたとあります。そして、昼の十二時、全地は暗くなり、それが三時まで続いたとあります。昼の12時に暗くなったということ、これは、イエス様の経験しておられた、霊的な暗黒を象徴していたものと思われます。神の光とは真逆の闇に、神から見捨てられ、離された、悪魔の支配にイエス様は置かれていたのです。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」
 イエス様はアラム語で叫ばれました。「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と。新約聖書はギリシア語で書かれています。イエス様の言葉もほぼギリシア語で書かれています。イエス様はアラム語を通常使っておられたと言われておりますが、イエス様の言葉をギリシア語に訳して、新約聖書は書かれています。その中で、時折、イエス様の語られた言葉が、語られたとおりにアラム語で書かれている箇所がいくつかあります。「エリ、エリ、レマサバクタニ」この言葉もそのひとつです。
 イエス様は、この時、詩編22編をずっと口づさんでおられたという説があります。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」この言葉のヘブライ語「エリー、エリー、ラーマ、アザブターニー」という言葉が、詩編22編には記されているからです。イエス様が、詩編22編を暗誦しておられるなら、ヘブライ語で語られた筈です。しかし、十字架の上でのイエス様の言葉は、ご自分が日常使っておられたアラム語でした。
 イエス様は十字架の上で、ただ詩編22編を口づさんでおられたわけではない。詩編22編の言葉は、イエス様に於いて肉となり、「神に見捨てられた」その経験を、神に見捨てられた暗黒を、孤独を、傷みを、苦しみを、主はまさに負っておられたのです。見捨てられたその姿が、十字架の苦しみでした。イエス様は、父なる神の裁きの中におられました。すべての人の罪をその身に帯びて。父なる神のすべての人の罪に対する裁きが、この時、御子に向けられていたのです。

 罪は滅ぼし尽くされなければならない。これは、旧約聖書からの大原則です。その出来事が、神の御子イエス・キリストの十字架の上で、成し遂げられました。滅ぼし尽くされたのは、すべての人間の罪。すべての人間の罪が、神の御子イエス・キリストの上に置かれ、父なる神は、イエス・キリストに於いて、全人類の裁きを行われました。イエス様は、苦しみ喘ぎ、神から見捨てられた絶望と暗黒の中、そして悪魔の力が猛威を奮う中、死なれたのです。本来、神に見捨てられ、苦しみ、死なねばならないのは、私であり、私たち人間です。私たちに代えて、神はひとり子を裁きの座に就かせ、怒りの杯のすべてをイエス様に注ぎ、イエス様は死なれたのです。
 そしてそのことによって、イエス・キリスト、その名を信じ、自分の罪を認め、悔い改めた人の罪を、イエス・キリストの十字架によって帳消しにされる。人間は、罪によって滅ぼされることなく、永遠に神と共にある、「永遠の命」へ至る道が拓かれました。イエス様の十字架の苦しみは、悔い改めたひとりひとりの罪人の命を救うためのものであったのです。
 その時、神殿お垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けました。神殿の垂れ幕の中というのは、イスラエルに於いては、大祭司が年に一度の大贖罪日と呼ばれる日にだけ入ることが許された場所であり、神と人との間の隔てを意味する垂れ幕でしたが、イエス様の十字架の死によって、神と人との隔ての幕は落ち、人は神の元へ、自由に行き来する道が拓かれました。
 ただ、イエス・キリストの御前で、自らの罪を悔い改めることで、神の元へ、神と共にある永遠の命へと、入れられる、滅びに定められていた人間が、滅びから救われ、神と共に永遠にある命へと入れられる道が拓かれたのです。
 さらに、眠りについていた聖なる者たちの身体が生き返り、墓から出てきたということが語られています。これも、死の滅びが打ち破られたという象徴的な出来事として描かれているのでしょう。

 イエス・キリストは十字架で死なれ、そして復活されます。キレネ人シモンは、降りかかった災いのように、イエス様の十字架を、イエス様に代わって負わされ、ゴルゴタまで担いで行きました。そして、そのことを通して、キリストを信じる人に変えられたという伝承があるということを、先にお話しいたしました。
救いに至る道には、通らなければならない十字架があるのです。与えられた棘のように十字架が、神との隔ての壁を取り除くために、私たちにも与えられます。十字架という「死」を通らなければ、私たちは神に近づくことは出来ません。御子の死を自分に帯びる―洗礼を受けることはそのことを象徴いたしますが―私たちの生まれたままの人生に思いがけない試練ともいえる事柄を通してキリストに出会うことがあるのです。イエス様の十字架を担いだシモンのように。それは、もっと神が私たちをご自身に引き寄せるために、神が私たちを愛するが故に、神に近づけるために、神の友となるために与え給う、「神の選び」の故なのかも知れません。
 しかしそれは、裏を返せば、私たちは神にとことん愛されている。どのような人生の苦難も、裏切られ見捨てられる、悲しみも痛みも、私たちが世で経験することのすべてを、イエス・キリストは共に負ってくださるということであるのです。イエス・キリストは、私たちの世の苦悩のすべてを知っておられます。苦難に於いて、イエス・キリストは、私たちの友であり、同伴者でいてくださいます。イエス・キリストは、私たちが苦しみの中にある時、共に苦しみ、共に泣いてくださるお方であられます。
 そして、十字架は十字架のままでは終わりません。主が復活されたのと同様に、主の十字架を通った私たちには、必ず主の復活と共に与る、新しい命の泉へと導かれるのです。

 この週、私たちは、イエス様の十字架への道、その御苦しみを思い巡らせつつ、過ごしたいと思います。主の十字架の御苦しみが、私たちそれぞれに語りかけることは、きっと違うことでありましょう。十字架を通し、主の私たちへの語りかけに傾聴する、一週間でありたいと願います。