4月24日「正しい礼拝」
マラキ書1章6~14節
子は父を、僕は主人を敬うものだ。しかし、私が父であるなら私に対する尊敬はどこにあるのか。私が主人であるなら私に対する畏れはどこにあるのか――万軍の主はあなたがたに言われる。(6節より)
黙想
礼拝が主を畏れ敬うことなく形式的となれば、主は怒りを表します。献げ物は傷のない家畜を献げることで主に対する敬意を表していましたが、その気持ちがなくなれば主は献げ物をお受取りにはなりません。このことは主に対する背きの罪が赦されまいまま残ることを意味しています。
私たちが献げる礼拝は心からのものでなければなりません。イエス様は『私が求めるのは慈しみであって、いけにえではない』(マタ9:13)と言われ、このことをお示しになられました。
今日も主の祝福をお祈りいたします。