5月29日 み言葉と黙想

5月29日「キリストの体として」
コリントの信徒への手紙Ⅰ・12章21~31節
一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。あなたがたはキリストの体であり、一人一人はその部分です。(26,27節)

黙想
パウロは信徒たちを体の部分に譬えます。一つの部分が苦しめば他の部分もその苦しみを担い、喜べばともに喜ぶことは私たちが教会で経験することです。主にある共同体は主によって有機的に結びついています。

すべての人が部分なのですが、自分中心で神を知らない人は自分が部分であり全体を構成する大切な要素であることを知りません。悲しみも喜びも自分だけのものであり、すべては自己責任と考えてしまいます。「まさか」の時に頼れる主を知らないし、主にある仲間も知らないことは心細いばかりです。

私たちは主にあってひとつの有機体であることを知れば助けは主からも友からも来ることを理解できます。
今日も主の祝福をお祈りいたします。