6月2日「預言するということ」
コリントの信徒への手紙Ⅰ・14章13~25節
皆が預言しているところへ、信者でない人か初心者が入って来たら、その人は皆から問いただされ、皆から批判されて、心の秘密が暴かれ、そのあげく、ひれ伏して神を拝み、「まことに、神はあなたがたの内におられます」と言い表すことになるでしょう。(24,25節)
黙想
異言は外国の言葉、預言はこの国の言葉で話すこと、というパウロの譬えで私たちは異言と預言の違いを具体的にイメージすることができます。皆が理解できる預言(神の言葉)を語るならば教会は一つになります。
そのようなところに人が神を求めてやって来ると、人生や世界の捉え方の誤りを指摘され、悩みや行き詰りなどの心が明らかになり、皆の語る言葉によって神を認めるようになります。
このことを疑う必要はありません。人は神の存在を感じるからです。暖かな神の愛を感じるからです。聖書を読み黙想することによって啓示が与えられ、人は預言するようになります。
今日も主の祝福をお祈りいたします。