5月19日「罪の報い」
民数記25章1~18節
主はモーセに告げられた。
「祭司アロンの子エルアザルの子ピネハスは、
私の熱情をイスラエルの人々前に示すことで、
彼らのうちから私の憤りを取り去った。
それで私は、私の熱情のためにイスラエルの人々を絶ち滅ぼすことはしなかった。」
(10,11節)
黙想
出エジプトの民はシティムの地で淫らなことをしました。
ペオルのバアルという偶像を拝んで主に背いたのです。
主は民を率いて父祖の地カナンに連れて行っておられるというのに。
主の怒りが民に対して燃え上がりました。
偶像は人間の金銭欲や出世欲や色欲などの欲望を具体化したものですから、
それを拝むというのは自分の欲望を拝んでいるのです。
淫らなことをした人々は民の中から断たれてしましました。
救い主がおられなければ主の怒りはすぐに現実となってしまいます。
救い主イエス様が来て下さったことの幸いを感じます。
悪い思いや行いを赦していただき主に立ち帰ることができます。