8月10日「「生きよ」と言われる主」
エゼキエル書16章1~14節
私は傍らを通りかかり、血の中でもがいているあなたを見て、
血まみれのあなたに、『生きよ』と言った。(6節)
黙想
都エルサレムは捨てられた赤ちゃんのようでした。
これは神に出会う前の私たちの姿を暗示しています。
神は血の中でもがいているエルサレムに「生きよ」と言ってくださいました。
神は言葉によって出来事を起こされます。
だから世界の先行きが不透明でも、自分に何の取柄もなくても生きることができます。
だれかが「お前はいらない」と言ってもひるむ必要はありませんし、
虚勢を張る必要もありません。
ただ主の言葉に信頼して生きていくのです。