9月25日 み言葉と黙想

9月25日「つまずきの石を取り除けよう」
ローマの信徒への手紙9章25~33節
イスラエルは義の律法を追い求めていたのに、その律法に達しませんでした。
なぜでしょうか。信仰によってではなく、行いによって達せられると考えたからです。
イスラエルはつまずきの石につまずいたのです。(31~32節より)

黙想
イエス様の時代のユダヤ人は神に選ばれ律法を与えられた民族であることに誇りを持ち、
異邦人を神に祝福されていない民族と考えていました。
しかしパウロは伝道において多くの異邦人が彼の伝えるイエス様を信じて
束縛から救われ神の祝福を受けたことから、
すべての人は神の招きに応えるならば祝福を得られることを知りました。
ユダヤ人は律法があるためにかえってイエス様の救いの恵みに気づけなかったのです。
私たちにも常識という名のつまずきの石があると思います。
信仰によって、イエス様の言葉を聞き、行いを心の目で見るならば、
誰でも神の祝福に入ることができます。