説教要旨「主こそ救い」(2021年9月5日)

ヨシュア記1章1~9節
学校法人明治学院学院牧師 北川 善也
ヨシュアは、偉大な指導者モーセに従うことによって歩き続けられた一人の若者に過ぎなかった。そんな彼の人生を大きく変える出来事が突如として起こる。自分の死期が近いことを悟ったモーセはある日ヨシュアをイスラエルの民全体の前で呼び出し、彼が自分の後継者であると宣言するのだ。
奴隷として捕らえられていた人々をエジプトから脱出させ、四十年にわたる荒れ野の旅を導いたのは、神の御業以外の何ものでもなかったが、人々の目にそれはモーセの指導力によるものと映っていただろう。ところが、その後継者として選ばれたのは、従者に過ぎない若者ヨシュアだった。人々は動揺を隠せなかったことだろう。一方、モーセによって突然後継者として名指しされたヨシュアはどんな心境だったろうか。あまりの重圧に腰が引け、震えが止まらないヨシュアの姿が目に浮かぶようだ。
しかし、神は御自分の約束をただ一人の指導者によって成し遂げようとはなさらない。確かに、神はモーセを十分用いられたが、それで完結せずヨシュアのような若者をも用いられる。ヨシュアはモーセがあと少しで成し遂げられたはずの、ほんのわずかな部分を担当した人物に過ぎないかもしれないが、神はそのわずかなことのために、モーセからヨシュアへの信仰継承という多くの時間と労力を要する働きを行わせ、これが何より重要な事柄であることを示された。
教会は、このようにして積み重ねられた確固たる土台の上に成り立っている。この土台を守り、後の世代に引き継いでいく務めが我々に託されている。この務めを果たすため我々がなすべきことはただ一つ。それは、神の御言葉に聴き従う姿勢を貫くことに他ならない。
「律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する」(7節)。ここで言われている「律法」は、「聖書」と読み換えてもよい。「右にも左にもそれず聖書の御言葉に聴き続けるならば、あなたがたは約束の地へと導かれる」。この神の約束は、現代を生きる我々にまで響き渡っている。