聖霊降臨のお祝い
聖霊降臨をお祝いいたします。聖霊降臨日をこのように会堂に集いSkypeに参加する多くの皆さまとお祝いできることを主に感謝します。本日は使徒言行録の御言葉で聖霊降臨の出来事を聞きました。
少し遡って、イエス様が復活してからのことを振り返りますと、イエス様は復活してから弟子たちに現れて話をされ、弟子たちを勇気づけました。そして40日後に天に昇られて、弟子たちや人々の前から姿を消されました。イエス様は地上を歩まれていた時に真理の霊たる聖霊を弟子たちに降らせてくださいと父なる神に祈られました。それは私たちをいつまでも、どこまでも守ってくださることの約束の証しでした。
聖霊降臨までの出来事と聖霊降臨の出来事
弟子たちはイエス様がいなくなってから熱心に祈っていました。このことは使徒言行録1章14節に書かれています。共に暮らしながら、あるいは集まってきて熱心に祈っていたのです。このことが聖霊降臨の出来事につながるのです。
するとイエス様がいなくなってから十日目、イエス様の復活から50日目に聖霊が降りました。その様子はかなり具体的に書かれています。突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえました(2:2)。それは家中に響きました(2:2)。きっと家が震えるほどの大きさだったでしょう。いつもとは違う音と振動に弟子たちはびっくりしたことでしょう。
すると、炎のような舌が分かれ分かれに現れました(2:3)。そして一人ひとりの上にとどまりました。「炎のよう」という表現から聖霊降臨のイメージカラーは赤です。私は今日、赤のストールをまとっていますが、これは聖霊降臨を表しています。「炎のよう」という表現から、それはゆらゆらと揺らめいていたのではないかと想像されます。私はこの出来事はとてもリアルに感じられるのです。皆さまはいかが感じたでしょうか。皆さまもリアルに感じられているかもしれませんね。
すると弟子たちはさまざまな国の言葉で話し出しました。弟子たちはユダヤの北の方のガリラヤ地方の出身の人たちでしたから外国語をしゃべることができる人はいなかったでしょう。ただし当時はギリシア帝国に支配されていましたから、自分たちが日常使う言葉とギリシア語は話せたかもしれません。しかしそれ以外の言葉を話すことなどできるはずがありません。その人たちが外国語で福音を語り出したのです。
周りにいた人々は驚きました。エルサレムには色々な国に住んでいるユダヤ人が集まってきていましたが、その人たちの国の言葉で福音が語られたのです。人々はあっけにとられ、、驚き、戸惑いました。中には弟子たちは酔っぱらっているのだという人もいました。
このような騒ぎの後にペトロがイエス様を証しする話を始めたのです。多くの人々かその説教を聞き、一日で3千人が洗礼を受けて仲間に加わったと記されています(使徒2:41)。彼らは<使徒の教え>、<相互の交わり>、<パン裂き>、<祈り>に熱心でした(使徒2:42節)。
主はバベルの塔の出来事(創世記11章)で全地の言葉を混乱させました。そして今、主は人々の言葉を一つに統一するのではなく異なる言葉であっても主の福音を伝えることができるようにしたのです。これは今日の言葉で言えば「コミュニケーションの回復」と言えるかもしれません。しかしこの出来事はその概念を大きく超えていて、人々の「交わりの回復」がなされたのです。それは理解できるようになるという意味で本質的なコミュニケーションの回復であります。これが聖霊降臨の出来事です。
私たちが受けたもの
さて、今日(こんにち)、聖霊降臨を祝うことの意味を考えたいと思います。キリスト者は洗礼を受け聖霊を降していただきました。私たちは神の家となさせていただきました。聖霊を受けて私たちはどのようになったでしょうか。突然強くなるのでも、賢くなるのでもなく、完全になるのでも、人の心がわかるようになるのでもありません。
聖霊を受けた私たちは、イエス様の恵みを心の底から感謝するようになり、自分が罪を犯す存在であることを認めるようになります。これは自分に素直になれるということです。誰に対しても身構えなくてよくて、ただ主を見上げて、主に喜ばれる生活を送ろうとします。聖霊を受けた人々はキリストを頭(かしら)とする体の一部であることを自覚するようになります。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜びます(Ⅰコリ12:26)。一番苦しみ、一番喜ばれるのは頭(かしら)であるイエス様です。
ヨシュアに与えられた神の言葉の今日的意味
ヨシュア記1章の冒頭にはモーセの後を継いだヨシュアに与えられた言葉が記されています。箇条書きでお話ししますと次のようになります。
第1 「私が与えようとしている土地に行きなさい。あなたたちが歩いたところをすべてあなたたちに与える。」 主の祝福はアブラハムに与えた祝福がヨシュアに引き継がれていることを示しています。主は約束を決して忘れることはありません。
第2 「私はあなたと共にいる」。この言葉は5節と9節で2度繰り返されます。
第3 「強く、雄々しくあれ」。この言葉は6節、7節、9節で3度も繰り返されます。
この3つです。
ヨシュアに語られた神の言葉によって私たちは聖霊が私たちに降って私たちに告げる事柄を知ることができます。聖霊は私たちに次のように告げており、私たちは聖霊によって次の事柄が確かなことであると知るのです。
第1 「人生の旅路は先行きが分からないが、主なる神が導かれるところに向かって歩んでいけばよい」、ということです。
第2 「主は私たちと共にいる」、という言葉で私たちは平安のうちにいることを知ります。
第3 「強く、雄々しくあれ」、というご命令は、私たちが不安や怯えの中にいても、うずくまることなく、立ち上がって、人生の旅路を進んでいく力を与えてくれます。
今日の不安な時代、何を信じて良いか分からない時代に、聖霊は確固たる信頼の源を示してくださいます。それは主イエス・キリストです。キリストが私たちに与えてくださった恵みを聖霊はいつも覚えることができるようにしてくださいます。私たちにもヨシュアに与えられた祝福と同じ祝福が与えられているのです。
私たちを守ってくださる主なる神
聖霊降臨の出来事は今に続いており、この世界に影響を与えています。戦争や環境破壊や異常気象などによって、人々が描く未来は決して明るいものではありません。現代社会においては自由が奪われ管理されてしまっているように感じます。そのような現実を目の当たりにして私たちは希望を失いそうになります。しかし聖霊は「主なる神が私たちと共にいてくださり、祝福してくださっている」ことを教え続け、そのことによって私たちを守ってくださっています。