3月17日礼拝説教「愛に生かされて」辻哲子牧師

3月17日は辻哲子牧師が説教のご用にあたられました。
94歳の高齢にもかかわらず、私たちに力強く神様の愛を伝えてくださいました。

聖書 エフェソの信徒への手紙3章14節~21節

どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。(16,17節)

説教要旨
パウロは初めイエス様の十字架が分かりませんでした。イエス様を信じる人々を迫害していました。しかしダマスコ途上で復活の主に出会ったんですね。それはすごく大きな出来事でした。そしてイエス様はパウロをお用いになったのです。律法を守ることにおいては誰にも引けを取らないと自他ともに認めていたパウロでしたが自分は罪人の頭だということをイエス・キリストに出会って深く知ることができたのです。キリストの汲めども尽きない愛を知ったときにパウロ自身が砕かれました。そして神のためにキリストのために教会のために働けば働くほど良く知るようになっていったのです。

人は神さまに呼びかけられています。パウロは祈ります、「内なる人を強めてください。」と。外なる人は弱くなっていきます。けれども内なる人が強くなると、どういう時にも平安が与えられるんですね。そのように強い信仰を持っているときにはいつも平安でいられます。神の愛の中に入れられて平安を与えられています。外なる人がどうであろうと、こんなにも内なる人が強くなる、神さまの愛に生かされているのです。

キリストの愛の中に根差して内なる人が強くなって、どんなに大きな恵みであるか。パウロは祈るのであります。(17節)。キリストの愛というのは通り一遍ではないのですね(18節)。尽きることのない愛なのです。聖書66巻に汲めども尽きない愛が貫かれています。人の知識を遥かに超える愛を私たちは知るようになります。それによって満たされるようになります。エフェソの信徒への手紙3章14節~21節は教会の祈りです。

今日ほど愛に飢えている人はいません。孤独死、虐待されて本当の親に育てられない子どもたちがいます。教会にいる人たちは恵まれているかもしれません。しかし一歩外に出ると人から愛されていない人がいるのです。

私は里親になってある子と中3から結婚まで過ごしました。その子がある時「教会の人たちは無関係の自分をどうして愛してくれるのか、それが不思議だ。」と聞きました。そしてその根本にあるのはキリストの愛だと分かり、高校1年の終わりのイースターに洗礼を受けたいと言いました。

教会はキリストの愛を見せているということを、私は自分では無自覚でしたけれど、改めて知りました。

私は短期里親になれるかどうかわからなかったんですけれども、まったく神様の力に支えられて、それをすることができました。私たちが求めたり思ったりすることのすべてを遥かに超えて叶えるこのお出来になるお方がおられるのです。私たちは命より大切なものがあります。愛です。

星野富弘さんの詩画集の言葉にこんなものがあります。

「命が一番大切だと思っていたころ、生きるのが苦しかった。命より大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった。」

このように私たちは愛というものをこの受難節においてもっともっと深く知り、そのことを祈り求めて生きたいと思います。

(文責:牧師 関義朗)