「力は弱さの中でこそ」
列王記下5:1~5、9~14
コリントの信徒への手紙二12:1~10
今日の旧約朗読は、アラムの王の軍司令官ナアマンの物語でした。
ナアマンは主君に重んじられる勇士でありましたが、重い皮膚病を患っておりました。この皮膚病が、軍司令官と言われる強いこの人の弱さでした。ナアマンの部隊が、かつてイスラエルに出動した時、捕虜として一人のイスラエルの少女を連れてきておりまして、ナアマンの妻の召使いとされていました。その少女が、ナアマンが皮膚病で苦しんでいるのを見て「サマリアの預言者のところに行けば、重い皮膚病をいやしてもらえるでしょうに」と妻に語ります。ナアマンは捕虜として連れてきていたイスラエルの少女のイスラエルの預言者について語る話を、妻を通して聞いていたのではないでしょうか。ナアマンは、自分を信頼してくれているアラムの王にこのことを話し、謂わば敵であるイスラエルの王への親書を書いてもらうのですが、イスラエルの王は怒り、拒絶します。しかし、そのことを聞いたイスラエル・サマリアの預言者エリシャは、ナアマンを自分の許に来るようにと告げるのです。
ナアマンは数頭の馬と共に戦車に乗ってエリシャの家にやって参ります。何ともすごい出で立ちで、偉そうです。人間は自分を大きく見せることを好むものです。そんなナアマンにエリシャはつれなく玄関に使いの者をやって言わせます。「ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります」と。
ナアマンは憤慨いたしました。アラムの軍司令官である「私」が折角来たのだから、エリシャ自身が出て来て患部の上で手を動かし、神の名を呼んで癒してくれると思っていたからです。エリシャが自分を呼びつけておいて、つれない扱いをしたことに、彼は怒ったのです。
しかし、家来がナアマンをいさめ、ナアマンはエリシャの伝令の言葉に従いました。子どものように縋る気持ちになったのでしょう。そしてエリシャの言うとおりのことを行った時、ナアマンの重い皮膚病は癒されました。
自分はひとかどの者だと思っていたナアマンですが、心を砕かれ、主の言葉に従順に従ったとき、神の御業が顕されました。ナアマンは重い皮膚病という弱さを与えられ、神はその彼の弱さを用いて、ご自身の栄光を顕され、ナアマンは信仰を得たのです。
さて、私たちも、それぞれ人に知られずも、自分自身の体や心の弱さに苦しんでいるものなのではないでしょうか。
私自身は、さまざまな弱さや問題にもがきながら、今まで生きてきているように思えます。決定的な体の病気というのはこれまでありませんが、20代前半は、今思えば鬱病になり苦しんでいたと思います。当時は現在ほど心の病が語られることが無く、自分の抱える心の苦しさや動けなさが何処から来るのか分からない。「頑張れ」と言われると、泣きたくなるほど辛かったのを覚えています。
しかし、信仰を持ち、自分ではなく、キリストを心の中心に据えて、御言葉に従うことを始めようとした時から、自分自身の強い自我のようなものが打ち砕かれ、罪を赦され、それは癒されたと思っています。それでも30歳前後は、自律神経疾患で苦しみました。今はそんな跡形もないほど元気そうに見えると思いますが、今もその時に残骸のような症状を持ちつつ、調整しながら暮らしています。
それらの弱さは、結局25歳の頃、それまで所属していた劇団を退団することに繋がっていき、30代の初め頃の自律神経の疾患は、それまで続けていた舞台の仕事と決別するきっかけとなりました。私にとって舞台の仕事というのは、子どもの頃からの大きな夢で、強過ぎる自我のようなものだったと思います。それから自分が離れる日が来ようとは、想像の出来ないことでした。
お医者さんに、「規則正しい生活をすることが一番」と言われ、生き方、生活の転換を迫られ、神様から不思議な導きがあったとしか思えないのですが、出版社の編集者としての仕事が与えられ、毎日会社で働き、日曜日は教会で奉仕をするという生活を20年近く続けることになりました。その生活の中で心身の健康が整えられていったと思います。
与えられた心身の弱さ、棘のようなものを通して、私は自分の中の強すぎる自我や、歪んだ自尊心のようなものを脱ぎ捨てていくようになり、キリストを心の真ん中に据えつつ、毎日を淡々と生活することで忍耐を学び、神を見上げつつ、神に従う道が示されていったのだと、今振り返ると思います。
大切にしていたものを失うことは、身を切られるほど苦しいものでもありますが、かたくなに持っていたものを脱ぎ捨て、小さなひとりの人間として、キリストに従い、御言葉を生きようと心に決めた時、身も心も軽くなり、神は不思議な方法で、私の上に、さまざまな御業を顕してくださるようになりました。日常の中に、神の不思議な御業が顕されたと思えることは、思い出すとたくさんあります。弱さや棘を通して、イエス・キリストは私のうちで働いてくださり、主の十字架と復活の救いの恵みを今生きていると思うのです。
そしてコリントの信徒への手紙を書いたのはパウロ、この人が居なかったら、キリスト教は現在のように世界宗教とはなっていなかったであろうとまで言われる伝道者ですが、今日お読みした12:7で、「わたしの身にひとつの棘が与えられました」と語っています。それは、思い上がることがないように、パウロを痛めつけるために、サタンから送られた使いであるとパウロは語ります。これはパウロの「弱さ」でありました。この使いについて離れ去らせてくださるように、三度主に願ったけれど、それは取り去られなかったのだと言うのです。これは何を指しているのか、パウロは語っておりませんので、それがどのような「棘」であったのか、いろいろな憶測はありますけれど、明確なことは分からないままです。
さらにパウロの弱さは、この「身の一つの棘」だけでは無かったことが、このコリントの信徒への手紙二を読みますと分かって参ります。
10章のはじめには、「あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る」、また10:10には「わたしのことを、『手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない』と言う者たちがいる」と、これらは、「身の一つの棘」と関連しているのか、どうか分かりませんが、どうやらパウロのその見た目と、話しぶりというのは、勇敢な印象ではなく、寧ろ人に弱々しい印象を与える人であったということが窺えるのです。しかし、手紙は重々しく力強かった。
そんなパウロが、命を掛けて伝道し、手紙を多く書き、キリスト教の基礎を作るほどの多くの働きをいたしました。パウロの生涯のさまざまな弱さや問題―パウロはイエス様と弟子たちを迫害していた人です―をも神は用いられ、イエス・キリストの救いは、世にあまねく告げ知らされるようになりました。
「一つの棘」を神から与えられていると語るパウロは、ここでは、パウロ自身の信仰の経験をまず語ります。
2節にある「キリストに結ばれていた一人の人を知っています」と他の人のことを語っているような語り口ですが、これはパウロ自身のことを語っています。それは14年前のこと。この手紙が書かれたのは、紀元54年頃と言われていますから、伝道旅行を始める以前、アンティオキアの教会か、故郷タルソスに居た40歳前後の頃のことなのではないかと思われますが、第三の天まで上げられたというのです。
今日の週報に、パウロの時代の世界観の図を小さく載せましたが、古代の人々は、天は球体で三層になっていると考えていたのですね。地球が丸いとは考えられていなかった時代です。地下には死者の国である陰府があり、天は三層になっている。ここでパウロは神が住まわれると考えられていた、第三の天、楽園まで上げられたというのです。「体のままか、体を離れてか知りません。神がご存知です」とパウロは二度も語っています。体のまま上げられたようなリアルな体験であり、尚且つ信じがたい体験であったのでしょう。そこで、「人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にした」と。
これがどのような体験であったのか、想像すると私などわくわくしてしまうのですが、神のおられる場所が確かにある。世の苦しみを超えて神が確かにおられる、そのことをパウロは見たのでしょう。信仰の奇跡です。それによってパウロはどれほど勇気づけられ、またさらに信仰の確信を得たことでしょうか。信仰の奇跡は、「しるし」とも呼ばれますが、「しるし」は信仰の励ましと確信となります。その経験、啓示されたことがあまりにも素晴らしいがために、そのような経験を自分だけが特別に与えられたことに「思い上がらないように」と、パウロの体にひとつの「とげ」が与えられたとパウロは語ります。
コリントの教会はそのような「しるし」をはじめ、霊的な賜物が多く与えられた教会であったようですが、しかし、その霊的な賜物で熱狂的になりすぎていることを、パウロは第一の手紙で戒めてもいます。特別な信仰による霊的な賜物というのは「ある」ということを、私自身信じているものですが、特別な神的な経験というのは、人間に「自分は特別」「神から特別に選ばれた人間」という、思い上がった思い、自分自身を誇る気持ちを、人間は愚かにも持ってしまうもののようです。人間は自分が特別な大きな人間だと思うことが嬉しい、そのような性質を持っています。そしてパウロが与えられた体の棘は、そのように「思い上がらないように、わたし=パウロを痛めつけるために、サタンから送られた使い」であるとパウロは語るのです。
サタンについて、ここで深く語ることは出来ませんが、旧約聖書に於いて、サタン=悪魔も神の使い、天使のひとりとして数えられていたことが、ヨブ記を読むと分かります。天使というのは、神から特定の人間に使わされる使者であると、新共同訳聖書の用語解説に記されていますが、別の言い方をすれば、「神の機能」であると言われたりいたします。機能とは、「ある物が本来備えている働き。全体を 構成する個々の部分が果たしている固有の役割。また、そうした働きをなすこと」そのような意味合いですが、パウロがここで敢えて「サタンからの使い」と「サタン」を語っていること、神の機能として、神が御心を表されるために、悪しき力を用いられることもある、ということを語っているのではないでしょうか。
聖書に於ける「悪」の問題というのは、それだけで壮大な論文になるようなテーマではありますが、ここでパウロが語ることは、神はその御心を表すために、悪の力を用いることもある、悪を通しても、人間にはマイナスに見えることを通しても、神は大胆にその御業を顕していかれる、そのように覚えたいと思います。
パウロは、この使いについて、離れ去らせてくださるように、三度主に願いました。三度もパウロが熱心に願い求めたというのですから、パウロの抱えていた苦しみは相当なものだったはずです。私たちも病を持ったり、さまざまな問題を神に願い求めることがある。また、神は私たちが、神に対して祈り求めることを待っておられる。これは、確かなことです。
しかし、パウロの自分自身の願いに対しての主の答えは、パウロの願い求めたものとは別の答えでありました。パウロ自身、多くの人をその賜物によって癒したり、死んだ人を蘇らせたという記録すらある人です。しかし、そんなパウロでも、自分の体の棘に対し、主に願い求めたことは、願い求めたとおりの答えではなかったのです。
そのような中で、パウロは主の御声を聞きました。それは「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」というものでした。パウロの祈りは、パウロの願ったとおりには聞かれませんでした。しかし、パウロはキリストの声を聞きました。
「力」とは、奇跡という意味もある言葉であり、まさに神の力を表します。神の力は、弱さの中でこそ十分に発揮される、神は人間の弱さの中で働かれるのだとイエス様がパウロに語られたのです。
神は、私たちが自由な意思を持って、出来る限りのことを力強く為して生きていくことに任せておられますが、しかし、神は人間が自分の力を過信したとき、思い上がり、自分自身を過大評価し、高ぶり自分を誇る、そのような性質を持っていることをよくご存知です。思い上がったままで、私たちは神を知ることは出来ません。
数週間前、「隅の親石」の話をいたしました。捨てられた石は、十字架に捨てられたキリスト。しかしその石が、イエス様が、隅の親石、私たちすべての人間の救いとなられました。隅の親石に連なる者、十字架に救われた者として、キリストに繋がって私たちは生きるべき者であると同時に、その石は、「その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれる」、そのような石が、隅の親石であるイエス・キリストです。イエス・キリストに於いて、人間の思い上がりは打ち砕かれるのです。思い上がりや、自分への過信は砕かれ、己の弱さを、罪を知り、それを認め、あるがままの、弱さを持った自分自身を神に差し出した時、神の力は、私たちに十分に働かれるのです。
なぜなら、私たちの主イエス・キリストというお方は、誰よりも御自分を弱さの中に置かれた方であられました。神の御子であるお方が、屠り場に引かれてゆく子羊のように、口を開かず、十字架へと向かわれました。そして、私たちすべての人の罪のすべて担われ、私たちに代わって十字架という刑罰を自ら引き受けられました。
神は、そのような弱い者となられた救い主キリストを私たちにお与えくださいました。十字架へ向かうキリストの弱さは、私たちの弱さです。そして、私たちの罪のすべては十字架の上で滅ぼされました。しかし、キリストの、これ以上無い弱さの中にこそ、神の力は十分に発揮されました。キリストは、十字架の死を打ち破って復活されました。そして、この方は今も生きて、私たちの救いのために働いておられます。
私たちはそれぞれ弱い肉体を持ち、折々に苦しむことのある者たちです。歳を重ねることで、体は弱さを覚えます。また、思いがけないアクシデントで体が傷め付けられること、また病を持ち、心や体に弱さを覚えることもあります。
しかし、主の御前に砕かれた者として立ち、私たちに与えられている弱さを、悲しむ者ではなく、弱いときにこそ強くしてくださる、神の御業が顕されることに望みを置きたいと願います。そして自分自身を誇るとするならば、パウロの語るとおり、自分自身の弱さをこそ、誇りたいと思います。私たちの弱さにこそ、神は働かれる。これは、主の言葉、聖書の約束なのです。
最後にもう一度10節をお読みいたします。「それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」。