牧師室より「主の年2018年の終わり」

西暦という暦は、イエス様のお誕生を起元として制定された暦です。ですから今は、イエス様が世に来られてから(救い主が誕生されてから)、2018年目の年の終わりということになります。
紀元2018年を、AD2018年と言い換えられますが、ADとは、ラテン語でAnno Domini(主の年に)という意味の言葉だで。「年に」と「に」がついているのが一般的で、これはどういう意味なのだろうと、少し調べてみましたら「Anno」という語は、annus(年)という言葉の「奪格」で、奪格とは、「基点からの分離を意味する」格であるので「主の年に」と、「主の年」という基点に「に」がついているようです。奪格には「~から」という分離の意味もあるということなので、イエス・キリストの誕生の年「から」始まっている「私たちの生きる今」という意味なのだろうと思いました。
救い主が来られてからの時を生きる私たち。主の救いの恵みのうちをこの年も生きたことを憶えつつ、新しい「主の年に」向かって前進を傾けて歩みたいと願っています。