土気あすみが丘教会に遣わされました関義朗です。どうぞよろしくお願いいたします。
私の実家は田舎のごく普通の家庭で、家には神棚や仏壇があり、親や祖父母は毎日お祈りをしていました。私も小さい頃からお祈りをしていました。それで幼いころから神さまの存在を感じていました。
キリスト教には惹かれるものを感じていましたが、結婚するまで教会に行ったことはありませんでした。妻はクリスチャンでした。出会った頃、私は妻に「あなたが教会に行くのは構わないけど、僕を誘わないでね」と言いました。そんな私が洗礼を受け、牧師になるとは自分でも驚きです。神さまのなさる業は計り知れないということを思い知らされます。
最初に礼拝に参加したとき讃美歌がきれいで素敵だなと思いました。説教が始まって、イエス様が罪を着せられて十字架にお架かりになる時に何も弁解しなかったことを聞き、私は「なぜ抗弁しないのだ。」と心の中で叫んでいました。私は何年も職場の中にどうしても赦せない人がいました。
説教で、あなたもイエス様のように他人を赦しなさい、という勧めがありました。それで私はイエス様がなさったようにしてみようと思いました。すると徐々にではありますがその人が優しく接するようになりました。私は気づいたのです、人を赦すということは神さまから赦されることだったということに。赦さないという頑なな心が解放されるということに。この世界は力が支配していると信じていた私が、実はこの世界は神さまの無償の愛が支配していることを知りました。