牧師室より・・・関義朗(自己紹介の続き)

自己紹介の続きです。最初の礼拝に参加してイエス様のことを知った私は、次の週から妻を急かせて教会に行くようになりました。今までの生き方とは違う新しい生き方を知り、もっと神さまのことが知りたくなったのです。聖餐式で信徒の方々が受けるパンやぶどう液を受けたいと思いました。しかし私は何も知らない、こんな私が洗礼を受ける資格などない、と考えていました。そんな時に伝道礼拝で語られた「洗礼は完成ではなく新しい生の出発です」という言葉に押されて受洗を決意しました。当時の千葉温牧師に受洗の希望を伝えた時、私はイエス様に救われたことは理解していましたが、私に罪があることを自覚していませんでした。そのような私であっても千葉牧師は「まあよかろう」と言ってくださって洗礼を授けてくださいました。

それから私はマタイによる福音書の1章から毎日読み始めました。そして5章まで読み進めて私は衝撃を受けました。そこには「心の貧しい人々は、幸いである」と書かれていました。それは私に向けられた主の言葉でした。私は何と貧しい人間であるか、自分のためにいかに他の人々を利用していたかが思い出されてきました。その時、初めてこんな私をも救ってくださった主の愛に打たれました。それは長期出張先の部屋での出来事でした。私は感激し熱い涙を流しました。そしてこのことを手紙に書いて千葉牧師に送りました。