牧師館には入居した頃からうぐいすの鳴き声が聞こえていて今も聞こえます。前任地ではついぞ聞いたことがありませんでしたので新鮮でした。そして爽やかな気分になりました。少し山に入るとほととぎすの鳴き声も聞こえます。鳥は相手を見つけるために一所懸命に鳴くのだといわれますが、それを聞いている人間にはのどかに聞こえます。そのような鳴き声を聞いていると鳥は自由でいいなと思います。小さい頃は鳥が鳴きながら飛んでいるのを見て、あのように自由だといいなと思いました。
しかし実際は鳥たちは一日のほとんどを食べ物を採ることに費やしており、雨が降れば濡れながら過ごさなければなりません。決して楽ではない日々なのに神さまに与えられた生を精一杯生きています。
この鳥たちの鳴き声を聞いているとイエス様の言葉が思い出されます。「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。」(マタ6:26)。
一所懸命に生きている鳥たち、そしてその鳥を養われる天の父。不平不満はもしかしたら楽をしたいという思いから来ているのかもしれないと思わされます。私たちも神さまに養われていることに感謝して日々を精一杯生きたいと思います。そうすればきっと鳥たちのように周りの人々に安らぎを与えことでしょう。