6月23日は沖縄慰霊の日でした。沖縄で行われた慰霊の日礼拝である牧師は「沖縄は多くの苦難の歴史、差別の歴史を生き抜いてきました。なぜ、沖縄が、苦難の歴史、差別の歴史を通されなければならないのでしょうか」と参加者に問いかけました。沖縄には多くの米軍基地があり、騒音、地域分断、犯罪を犯した米軍関係者が処罰を免れている現実があります。昨年、沖縄全戦没者追悼式で「平和の詩」を朗読した中3の生徒は、その後ネットで誹謗中傷を受けたそうです。沖縄の人々の痛みに共感する人々がいる中で沖縄の人々を切り離そうとする人々がいます。ウクライナでの戦争を容認するロシア正教会最高指導者がいます。先の大戦でドイツ帝国教会は戦争へと人々を鼓舞しました。イラク戦争では多くの米国教会が戦争に賛同しました。
しかしこの牧師は嘆いてばかりいません。生まれつき目の見えない人についてイエス様が「神の業がこの人に現れるためである」と言われて癒された出来事(ヨハネ9:1-7)を示しました。イエス様によって目が開かれた彼はイエス様の愛と赦しの御言葉に心を満たされ、神の愛と恵みに満たされ、大きな圧力や差別的な力に耐え忍びつつ、歩み続けました。希望とは待ち望む心です(ヘブ11:1)。イエス様の愛と赦しの御言葉は、沖縄に住む人たちや沖縄の人々と共に歩む人々の心に響き続けています。