パウロは「私のようになってください」(ガラ4:12)、「私に倣う者になりなさい」(Ⅰコリ4:16)と人々に勧めています。
私は牧師としてあるいはキリストに倣うキリスト者として、パウロのように語ることができるでしょうか。自分が不完全であることは自分が一番知っています。不完全な自分がパウロの言葉を自分の言葉として語る、これは牧師として私に与えられた主からの大きな挑戦です。もし私が「聖書にはこう書いてあります」と告げたとして、それはどのくらい聞いている人の心を打つでしょうか。きっと神が礼拝にご臨在されていることを知ることなく、「キリスト教とはこういう教えか」と知識を身につけて何も変わらず日常に帰っていくでしょう。
パウロは福音書を書きませんでしたが福音に生きた人でした。彼は多くの人に誤解され肉体の弱さ故に軽んじられました。大くの論争をおこなって嫌がられたことでしょう。そのようであっても彼は福音を伝え続けました。パウロの姿を通してイエス様が裏切られ罵られ罪人として死なれたことが思い出されます。
私の不完全さを超えて主が働いておられると信じ福音に生きるならば、私も誤解を恐れずパウロのように語ることができるでしょう。ガラテヤの信徒への手紙を読む中でこのようなことを思わされました。