3月3日牧師室より

今日、3月3日は日本の女性医師第1号の荻野吟子の生誕日です。荻野は1851年(嘉永4年)に生まれ、17歳で地元の名主と結婚するのですが、性病を移されて病気が悪化し、そのせいで離婚しました。入院して治療を受けましたが医者は男性ばかりで大変恥ずかしい思いをしたそうです。同じ女性患者を励ます際、男性の医師に診察されることに羞恥と屈辱を覚えることに共感し、これが嫌で受診せず、命を落とす女性さえいることを嘆きます。そして女性医師の必要性を痛感し、荻野自身が医者となる決意をしたのです。彼女は18年間学び、34歳で医師国家試験に合格して女性医師第1号となり、本郷湯島(現文京区)に産婦人科医院を開きました。

1886年(明治19年)35歳の時に本郷教会で海老名弾正牧師から洗礼を受けました。荻野は熱心なキリスト者となり、当時の女性社会運動の中心であった東京婦人矯風会(日本キリスト教婦人矯風会)に入会し、その後に風俗部長となり、特に廃娼運動に熱心に取り組みました。

彼女の愛唱聖句は「人その友の為におのれの命をすつる。之より大いなる愛はなし。」(ヨハネ15:13)でした。自分の経験を恥とすることなく女性のために女性医師になることを決心したのは主の導きだったことでしょう。映画『一粒の麦 荻野吟子の生涯』を制作した山田火砂子監督は「明治時代、女性解放運動を目指した女性達は、圧倒的にクリスチャンが多いのです。何故なら、当時牧師と宣教師先生だけが、『男も女も平等』と言ってくれたからなのです。」と、制作の動機を語っています。