先日、ある方と話をしていて「生きるのは他者のため」ということで盛り上がりました。自分のために生きるのは苦しくなれば生きることを諦めるかもしれないが、誰かのために生きるならば苦しくても生きられるというような話です。
44歳の若さで天に召された原崎百子さんというキリスト者が書いた詩に次のようなものがあります。
「わが礼拝」
わがうめきよ わが賛美の歌となれ
わが苦しい息よ わが信仰の告白となれ
わが涙よ わが歌となれ
主をほめまつるわが歌となれ
わが病む肉体から発する
すべての吐息よ
呼吸困難よ
咳よ
主を賛美せよ
わが熱よ 汗よ わが息よ
最後まで 主をほめたたえてあれ
原崎さんはきっと最後まで主を賛美して天に召されていったと思います。私はこの詩に他者のために生きることの究極の姿を感じました。それは神さまのために生きるということです。
教会も自分たちのためなら行き詰るかもしれませんが、他者のためになら困難があっても進んで行くことができるでしょう。