6月16日牧師室より

6月14日(金)にH.Y姉のご伴侶のEさんの葬儀を教会でおこないました。この葬儀の準備をしていて、H.Yさんが卒業した長崎県の純心女子学園のことを知りました。学園のHPからこの学園のことを書かせていただきます。

長崎は江戸時代に多くの潜伏キリシタンが住んでいた土地です。その地に1934年(昭和9年)、日本人最初のローマカトリック司教で長崎教区長となった早坂久之助司教が創立したのがこの学園です。学園創立からほどなく日本は不幸な戦争の時代に進み、1941年に太平洋戦争が始まりました。そして1945年8月9日(木)11時2分に原子爆弾が現在の平和公園上空で爆発しました。純心女子学園の校舎は跡形もなく破壊され、学徒動員に出ていた人や校舎にいた人が214人も亡くなりました。

校長は学校を閉じる準備を始めました。このことを聞き知った父兄は相次いで校長を訪ねて、「わが子を亡くしたのは、大きな悲しみですが、あの悲惨な状況にありながら、祈りつつ清らかな最期を遂げてくれたのは、何よりの慰めでした。これは(キリスト教に基づく)純心教育のお陰です。学校を閉鎖しないでください」と訴えたそうです。こうして純心女子学園は再建され、今日までキリスト教を基盤にした女子教育を担い続けています。校庭には『学徒隊殉難者の校墓』が建てられ、永井隆博士の歌が刻まれているそうです。