7月28日牧師室より

食事は誰でも食べるものですから気にする人は少ないかもしれません。しかし栄養に気をつけないと体調を損ないます。礼拝も同じことが言えます。いつもの礼拝が神さまからの恵みをいただけるものかどうかに気をつけないと霊が弱くなり、我慢できなくなったり人生が嫌になったりといった症状が出てきます。

驚くかもしれませんが、礼拝の中心は説教でも賛美でも祈りでもありません。礼拝の中心は主イエス・キリストです。イエス様は天の聖所で私たちの不完全な祈りや賛美を執り成し、完全な祈りや賛美として父にささげておられます(ヘブ4:14)。そして聖霊によって私たちに神の言葉を届けてくださいます(エフェ1:13)。キリストは大祭司であり、私たちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせてくださいます(ヘブ9:11-15)。

父・子・聖霊の神は讃えられるお方であり讃えるお方として完全な愛の交わりのうちにおられます。その愛があふれ出て私たちは神を賛美する者として造られました(詩102:19、エフェ1:6)。イエス様に信頼して祈り、賛美し、御言葉を聞き、聖餐に与るならば、上手下手や手際の良し悪しということを越えて豊かな恵みが与えられます。

私たちは一生懸命に礼拝することを求めるのではなく、イエス様と一緒に礼拝している喜びを感じることができるように求めたいと思います。そうすればキリスト・イエス様の豊かな恵みを受け取って心が満たされ、この世へと出ていくことができます。