今日の聖日は敬老の日の祝日が重なりました。教会では敬老感謝礼拝をおこないます。この礼拝は、今日まで生かされてきたことを主なる神に感謝するものです。高齢になりいろいろなものを神さまにお返ししていく段階になっても神さまと共に歩むという自由を手放さないようにしたいと思います。
老人の知恵とは、人間は神の前に幼子のようであることを知ることではないかと思います。日本メソジスト教会の初代監督となった本多庸一(1849-1912)は祈ることについて「小児はお菓子を下さいと申すのみにて、安心しているぞよかるべき」と言いました。子どもはお菓子をくれる人を信頼しており、それが与えられることを信じて願っているというのです。若い時には自分の力に頼っていた人も高齢になるにつれ、子どものようになって、恵みを与えてくださる神さまに頼るようになりたいと思います。
ルドルフ・ボーレンという神学者は最後の著作『祈る』に「私たちはどうすればふさわしい祈りをすることになるのか知りません。祈ることは子どもにも容易にできることです。しかしその祈りで世界を変革した人が、わたしたちはどう祈るべきかを知りません(ロマ8:26)と言うのです。」と書いています。世界を変革した人とは主イエス様と使徒パウロを指しています。祈ることは子どもにもできる安易なことであることと、どうしたら真実に祈れるようになるのかわからない困難なことというのが同時に成り立っています。高齢になったならば、初心に帰って祈ることを学びたいと思います。