9月29日牧師室より

日本には「苦しい時の神頼み」ということわざがあります。これは信仰心のない人が苦しい時だけ神様に祈って助けてもらおうとすることです。信仰心がないならば神様に祈るのはおかしいのではと思いますが、やはり人は人間の力を越えた神様がいることを心のどこかで感じていて、どうしようもない時には神様に頼るのだと思います。

詩編19編は神様の言葉が世界中に広がり人の心に言葉が響きとして伝わることを私たちに知らせています。またコヘレトの言葉3章11節には神様が人に永遠を思う心を与えられたと証ししています。有限の存在である人間が永遠の存在である神様を思う心を与えられているのです。だから信仰心のない人でも苦しい時は神様に頼るのでしょう。その人たちが神様に出会う日が来るよう祈りたいと思います。

ヤコブの手紙5章16節に「正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします」と証しされています。正しい人というと倫理感が強く正義の実現のために働く人を想像しますが、聖書の言う正しい人とは神をすべてのものの上に置き、その言葉に従う人です。その人は傲慢になることがありません。祈る相手に心を寄せてその人の幸せを思って祈ります。そして祈るだけではなく自分に出来ることを見返り無しに与えるのです。私たちは正しい人にならせていただけるように願い、他者のために祈りたいものです。

私たちのためにイエス様が天のまことの聖所で祈っておられます。私たちはイエス様の祈りに支えられ、隣人に祈られて生きていることを覚えて日々を過ごしたいと思います。