アルフォンス・デーケンさんは上智大学教授でイエズス会の司祭でした。デーケンさんは「生と死を考える会」を発足させ、終末期医療の改善やホスピス運動の発展などに尽くしたことで良く知られています。この人は、死について学ぶことは生について学ぶこと、と言っていました。こんな文章があります。
『死について考えるのは暗い病的なことではなく、生きるために必要なことです。私は毎年、「死の哲学」を受講する学生に、死の哲学は生の哲学に他ならないと強調します。死について深く考えれば考えるほど、生についても考えるようになります。死は漠然とした将来の出来事ではなく、私たちは生まれたときから常に、また今この瞬間も死へ向かって歩み続けているのです。だからといって悲観したりする必要はまったくありません。私たちは自分の生きる時間が限られていることをよく認識して、1日1日を大切に、精一杯生きるべきだということなのです。』
そして死は終わりではありません。ダニエル書は「目覚めた人々は大空の光のように輝く」(12:3)と、神の御許に招かれた人々の復活を暗示しています。また大祭司キリストが、生きていても死んだ後も私たちの側にいて父なる神に執り成してくださいます。
「互いに愛と善行に励むように心がけ、励まし合いましょう」(ヘブ10:25)という勧告は、立派なキリスト者になりなさいという命令ではなく、神の御許に帰ることの喜びと復活の希望によって私たちが自ら選び取るものなのです。限りあるこの世の生を、愛と善行と励まし合いによって大切に生きていきましょう。