行き先が定まっていなかったり、そこに至る道が複雑だと迷ってしまいます。私は土気に住むようになって千葉駅から市民会館に行くのに迷ってしまったことがあります。当時の私には道が複雑だったのです。スマホの地図を見ても迷いました。人生も同じようなものではないかと思います。目標が定まっており、そこまでの道が真っすぐであれば迷うことなく豊かな人生を送ることができるでしょう。
イエス様がその道を示してくださいました。イエス様は「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」と言われ(ヨハネ14:6)、人間の目指すべきところは父なる神の国であること、そしてイエス様の教えや行いが道だということを教えてくださいました。それは誰でも神の国に行くことができるという驚くべき言葉です。悪人でも、罪を犯した者でも行くことができるのです。
そのためには「荒れ野で叫ぶ者の声」に耳を傾けなければなりません。バプテスマのヨハネは主の道を整えるようにと人々に叫びました(ルカ3:4-6)。これは悔い改めて洗礼を受るということです。人は生まれ変わることができます。どんな罪びとでも悔い改めて洗礼を受けることによって生まれ変わり、神の国に入ることができます。
神はすべての人が悔い改めて主の道を歩くことを望んでおられます。人は皆、神の救いを仰ぎ見るようになります。これは神が私たちに与えてくださった驚くべき幻です。