1月5日牧師室より

新年最初の礼拝にエレミヤ書の「新しい契約」(エレミヤ書31章)の箇所から聖句が与えられたのはまことに時宜にかなっています。エレミヤ書31章10~14節を今日の信徒(牧師含む)に向けた言葉として大胆に言い換えると次のようになります。

 

「各地にいる主の民よ、主の言葉を聞いて遠くの人々にまで告げ知らせなさい。民を散らしたお方はその民を確かに集めて羊飼いのように守り続ける。なぜなら主はヤコブを救い、強いものの手から救った。

主の民は礼拝に来て、聖所(礼拝堂)で確かに喜び歌い続ける。賛美と祈りの上に恵みが流れ込み続ける。魂は楽園のように潤うだろう。(略)私は民の嘆きを喜びに変え続ける。私は民を確かに慰め続け、悲しみの数々に代えて確かに民を喜ぶ。私は牧師たちの魂を確かに潤し続ける。私の民は私の恵みで満たされる。主なる神のお告げ。」

 

神が信仰者を祝福して守ることを約束していることが伝わってきます。

しかしこの言葉をこの世的に捉えるならば、こんなことはあり得ないという不平不満が湧いてくるでしょう。ここではヤコブという人物が謎を解く鍵です。ヤコブは神と一晩中格闘することで平安を得たのです。彼が得た平安は殺されるという恐怖を遠ざけるほどのものでした(創32:23-33)。

神は死の恐怖でさえ取り去ってくださるのですから他の恐れは雲散霧消してしまい、魂は平安で満たされます。今年も約束を信じ、共に御国へと歩んでいきましょう。