1月12日牧師室より

教会暦で1月6日は東方の三博士がイエス様を訪問したことを記念する「公現日」、その後の最初の主の日(今日)は「主の洗礼の祝日」です。聖書学者はイエス様の洗礼を十字架刑とともに信憑性の高い重要な出来事と考えています。罪を持たないイエス様が洗礼を受けたのは(ルカ3:21-22)、罪の赦しを必要とする人間と同じになるためでした。

イエス様は洗礼を受けられた後に祈っておられたと書かれています。イエス様が祈られるお姿は「オリーブ山での祈り」(ルカ22:39-46)に強烈な描写があります。それ以外にもイエス様はいろいろな機会に父なる神に祈られました。

洗礼を受けた後にイエス様が祈られた時、天が開け、聖霊がイエス様の上に降り、天から「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」という声がしたと記されています。これらの出来事が意味するものはイエス様が特別な存在であるということ、すなわち神の御子であるということです。父なる神が行わなければ天が開かれることはありません。イエス様のおられるところで天と地がつながったのです。この光景は旧約聖書のヤコブの「天のはしご」(創世記28:12)を思い出させます。

イエス様は洗礼によって私たちと同じになってくださいました。人間的な痛み、疎外される苦しみ、生きることの苦しみ、死の恐怖を体験され、その上で人間の罪を背負って罪人として死ぬことにより私たちを救ってくださいました。このお方を信じるならば人は豊かに生きることができます。イエス様がいつも祈られたように私たちも父なる神と主イエス・キリストに祈りつつ日々を過ごしたいと思います。