今日は西千葉教会との講壇交換礼拝です。この礼拝の意義は、まず第一に西千葉教会の開拓伝道で土気あすみが丘教会が誕生したという歴史的な出来事を両教会が忘れないようにすることだと思います。当時の西千葉教会と土気集会の人々の祈りを神がお聞き届けくださり教会が生まれた出来事を振り返り、神の恵みに感謝したいと思います。更に互いの教会の様子を知り教会員同士が顔を合わせて祈り合うという、主にある交わりを続けることだと思います。
今日、私は西千葉教会でマルコによる福音書3章1~6節の御言葉を証しします。ここはイエス様が安息日に片手が萎えている人をいやすという出来事が記されている箇所です。イエス様はいやしを始める前に、人々に「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」と問いかけました。イエス様の問いを現代に置きかえれば、「もし何かするべきこと(律法の要求)を抱えている時に助けを必要としている人を見かけたら、どのような判断をしますか」となります。この問いが私たちの心に刺さってきます。
この出来事で思い出すのは昨年のクリスマス祝会で演じられた『遅れてきた博士』のペープサートです。この博士は3つの宝物を持って30年間イエス様を探しましたが、途中で助けを必要とする人のためにそれをすべて手放してしまいました。博士は死の直前に復活のイエス様に出会い、宝物を献げることができなかったことをお詫びしましたが、イエス様はその行為を喜ばれたというものです。私たちが大事だと思うことは本当に一番大事なことかと問い直し、主の言葉に従うならばこの博士のような行動ができるのではないかと思います。