2月2日牧師室より

1月27日(月)~30日(木)まで静岡県裾野市にある黙想の家で説教塾のリトリートに参加しました。牧師たちがひたすら御言葉に聞く時を過ごします。黙想の家では全員が集まって共同黙想をする時以外は沈黙して過ごします。食事もそうです。このようにして主に近づく訓練をして霊性を養うのです。講習会や教師の勉強会とは異なるもので私にとっては年に一度の貴重な機会です。

今年は使徒言行録に聞きながら教会と伝道について黙想しました。使徒言行録は聖霊によって教会が形づくられ、それが世界に広がっていくさまが記されています。日本は現在、どの教会も高齢化や財政問題などの課題を抱えています。しかし使徒言行録が書かれた頃の状況は今の状況よりも困難でした。それでもペトロやパウロたちは聖霊に導かれてイエス様の福音を宣べ伝え、各地に教会が生まれました。

共同黙想で示されたのはペトロもパウロも殉教し、ペトロやパウロたちが生み出した教会の多くはなくなりましたが、世界中の至る所に教会ができて多くの人々がイエス様に従う人生を喜んで生きたし、今も生きているという事実です。

そのイエス様がどのようなお方かをご自分で明かされた出来事がルカ福音書4章16~21節に記されています。それは「油注がれた者」という、まことの王であり救い主です。しかし故郷の人々はイエス様の不思議な業や権威ある教えを聞いても「大工のヨセフの子」という理解を変えることはできませんでした。そのことが結局は人々を福音から遠ざけました。自分たちの考えが正しいという傲慢です。そのような傲慢は預言者エレミヤの時代から示されていました。傲慢によって平安を得ることはできません。