2月23日牧師室より

聖書には安息日が重要な言葉として出てきます。ユダヤ人は安息日を自分たちが自分たちであるしるし(アイデンティティ)として大切に守っていました。特にイエス様が活動しておられた頃はローマ帝国の支配下にあって安息日を守ることが最も重要でした。

安息日はモーセの十戒の第4戒「安息日を心に留め、これを聖別せよ」(出20:8)に起因しています。7日目を聖日として神を賛美することにより人間性を取り戻すことができます。安息日に生命に関わることをすることは例外とされていましたが、それ以外のことは死に価すると見なされました。

そのような社会にあってイエス様は安息日の戒めを与えた父なる神の御心を行われました。イエス様は「安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。」と語っています(マルコ2:27)。安息日を聖別し神を崇める日として過ごすことが人間に求められていますから神を忘れて儲けや楽しみのために行動することは許されません。しかし、神を想い隣人を助けることは神の御心なのです(たとえばマルコ3:1-5)。

キリスト者はイエス様の復活を記念する8日目(週の初め)を聖日として、礼拝をおこなっています。これはキリスト者のアイデンティティです。礼拝は神を賛美し御言葉を受取ることで人間性を回復させる大切なもので、いわば安息日です。しかし礼拝を絶対化して身近な人や困っている人が見えなくなってしまったら神の御心を行っているとは言えません。私たちは礼拝に出ることを大切にしつつも、神の御心に適う行動をしたいと思います。